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Last updated: 2002.09.01  

京都議定書を活かして,節度ある日本のかたちをつくろう

要約

雰囲気任せの闇雲な批准は論外だ.「数値目標に拘泥せず,長期的・世界的にみて意味ある対策を実施する」という 理解を固めた上で批准することが望ましい.費用は国民が広く負担する必要があり,このためには炭素税が必要だ. ただし,税収を透明性の高い方法で温暖化対策に還流することが条件となる. 経済全体への悪影響はこの還流で小さくとどめることができる.一般消費はある程度犠牲にせざるを得ないが, 少々損をしても,節度ある日本のかたちを作りあげることこそ真の国益だ.

地球温暖化防止は現世代の問題

地球温暖化による深刻な影響が生じるのは今世紀後半といわれている.これをもって,地球温暖化問題は 遠い将来の問題であると感じている人も多いようだ.しかし,今いる子供が歳を重ねて老人になると, もう今世紀後半である.地球温暖化防止は遠い将来の問題ではなく,現世代の問題である.

何をしなければならないのか.温暖化防止のためには,大気中の温室効果ガス濃度を産業革命前の 2 倍である 550 ppm 程度に落ち着けることが必要と考えられている.そして,このためには, 今世紀後半には温室効果ガス排出を一人年間 0.5 トン以下に減らさねばならない.現在の日本で 3 トンだから, これは大幅な削減を意味する.温暖化防止にとって必要なことは,エネルギーシステムの大変革を行うことである.

このような大変革はどのようにして可能か.京都議定書は,この大変革のために役立たない欠陥品なのだろうか. それとも,うまく活かしていくことができるのか.

米国や中国の参加は必須ではない

よく言われる「欠陥」について考えてみよう.地球温暖化問題の「100 年・地球規模」というスケールを理解すると, 京都議定書はそのごく一部しかカバーしていないことに気づく. 京都議定書の目玉は数値目標であるが,それは 2012 年までという短い期間を対象にしているにすぎない. また,米国が離脱したこともあって,日欧ロシアにいくつかの国を加えた, 世界全体の 1/4 の温室効果ガス排出しか捕捉していない.

しかし,これをもって京都議定書を批准しなくてよいということにはならない.

「米国が参加しないなら日本も参加すべきでない」という主張は単純に過ぎる. 温暖化対策の実施は,議定書への参加と同義ではないからだ. 米国にとって,議定書批准は上院の 2/3 の賛成が必要なため最も狭き門であるが, 議定書と関係なく国内法を整備するだけなら 1/2 ですむし,州法であれば各州の 1/2 でよい. 全米の半分以上は環境保護に真剣な州であり,議定書や国法に先んじて温暖化対策を進めているところもある. 州からの「ボトムアップ型」の温暖化防止体制の整備を通じて,将来的には国の政策を動かすことができよう.

米国以外の国々,とくに途上国はどうするか.中国やインドが参加しないと意味がないという議論もよく聞かれる. しかし,これは間違った議論だ.確かに途上国の排出量は絶対量では多いが,これは人口が多いことに起因するものであり, 一人あたりで見るとまだ先進国に比べて桁違いに少ない.道義的に見て,先進国が途上国を説教できる立場にはない. また,温暖化防止に取り組むための技術や制度については,先進国がどのみち構築せねばならない. 温暖化問題の時間スケールを考えれば,途上国の取り組みが先進国よりも 10 年や 20 年遅れたからといって 致命的になるものではない.むしろ,途上国の参加をタテに先進国が取り組みを怠るとすれば, そのほうがはるかに致命的である.

また,途上国の多くは省エネに真剣に取り組んでおり,数値目標の設定は不要である. 例えば中国においては,すでに省エネも脱石炭もエネルギー政策上の至上命題である.というのは, 経済成長を実現するためには生産性の向上や品質管理の徹底が必要であるが,それは必然的に省エネを伴うからである. 中国の工場では歩留まりが悪いし,また製品になっても故障が多い.これらの生産に伴う無駄をなくすことは 経済成長にとって必須であるが,これは省エネの核心である.中国政府はまた,公害対策と省エネの観点から, 小規模発電所や小規模炭鉱の閉鎖に躍起になっている.仮に京都議定書の数値目標を中国も被っても, 政策当局者は今やっていることを続けることがベストで,それ以上のことに手をだす余裕はない.

確かに,京都議定書は数値目標が短期的であり,日本にだけやたらと厳しく,米国や途上国参加もない. このようなことを考えると,「京都議定書に欠陥がある」のは確かだ. だが,これは議定書を捨て去る理由にはならない.そもそも完全無欠の法などありえない. 法は全知全能の立法者が書き下したものではなく,現実的妥協の束だからである. 欠陥があっても,その運用次第で重要な役割を果たすことができる. リオサミット以来延々と続けてきた京都議定書関連の国際交渉の流れが一度潰れると, その再構築には時間を要する上に,その結果出てくるものがましとも限らない.

勿論,米国や途上国においても温暖化対策は進めてもらわねばならない.これらの国に影響を与えるためには, 日本は日本として,世界的・長期的に見て合理的な温暖化防止政策を粛々と進めることが重要である. 優れた政策は必ず外国に模倣されていく.温暖化防止という規範も世界に徐々に浸透していく. これは必ずしも議定書加盟を要しないプロセスである.京都議定書はさまざまな温暖化防止政策を構成する さまざまな法制度の一つに過ぎない.さまざまなチャンネルから世界の温暖化防止政策を進めることができる.

現在,世界にある規範や政策の多くは,必ずしも国際条約によって普及したものではない. 奴隷解放,男女同権,そして公害対策など,はじめは失笑を買った概念が,現在ではごく常識になった. 温暖化防止という規範もやがてはあらゆる国の政策形成における日常的な考慮事項として浸透していくだろう.

京都議定書とマラケシュ運用則には妥当でない部分もあるが,きちんと日本としての解釈をきちんと固めた上であれば, それを発効させたほうが温暖化防止のためによいだろう.それでは,その日本としての解釈とはどのようなもので あればよいのか.

数値目標にとらわれるな

京都議定書の最大の目玉は,数値目標を法的に設定したことだ.数値目標には重要な利点がある. 数値目標があることによって,各国は批准にあたり,向こう10年の排出削減計画を整備し, それに対応した法制度整備を行い,政策措置を打つことになる.これは温暖化防止政策を押し進めようとする 官民にとっての強力な足がかりになる.問題への関心が高まり,対策推進に利益を見出す企業が生まれる. 政府はこの動きにさらに呼応する.温暖化防止へ向けて歯車が回り始める.これは重要な効果である. 数値目標がなければ,このような動きを起こすことがそもそも不可能だっただろう.

ただし,数値目標をあまりに杓子定規に捉えると問題が生じる.数値目標の法的拘束力が強く, 罰則まであれば,2012 年以降の数値目標の野心的な設定や,多くの国々の参加といった, 将来的な発展可能性を閉ざしてしまう.

京都メカニズムがあれば数値目標は必ず遵守できるからこのような心配は要らないという議論をする人もいる. しかし,これは間違いだ.京都メカニズムはまだ紙の上に書いてあるにすぎない. 実際に排出量を取引するというのは壮大な制度的実験であって,それがうまくいくかどうかは全く未知である.

マラケシュ合意では,かろうじて,罰則の法的拘束性については将来の決定にゆだねることになった. 日本は罰則を締結しない意思を国会で明らかにしておかねばならない.それは利己的な理由からではなく, 目標設定を野心的にするため,多くの国の参加を求めるためである.

翻って,国内制度の観点からも,数値目標にはこだわらないほうがよい.数値目標を墨守することは, よい温暖化対策であることを意味しない.むしろ逆である.

日本の省エネ水準はすでに世界最高で,これを継続することには産業界も異議はない.これは良い温暖化対策であるが, どこまでできるか,それを数字として予想することは難しい.対照的に,数値目標を杓子定規に達成しようとすると, 数字を頭から割り振ることになって,結果として,素材産業を海外に追いやり, 石炭火力を止めて天然ガス火力にするといった乱暴な話になりかねない.

素材産業を海外に追いやっても,それは海外での排出を増やすだけであり,温暖化対策にならない. 石炭火力から天然ガス火力への切り替えも,はたして本当の温暖化対策になっているかは難しい. 天然ガスは日本の発電所よりもアジアの都市や欧米で燃やし,日本は省エネや CO2 回収貯留技術の開発をしたほうが地球規模で見て良い.

素材産業の追い出しや石炭火力からガス火力への転換などの“対策”は,排出削減量をきちんと読むことができるので, 京都議定書の数字が頭にこびりついている人には魅力的である.何かの手段でこのための費用さえひねり出せば, 京都議定書の数値目標達成を安直にできるかもしれない.しかし,これは温暖化防止という本来の目的に 寄与しないという致命的欠陥がある.そんなことをしてまで数値目標の墨守をするべきではなかろう.

国民全体でコスト負担を

それでは,国内対策はどのようなものにしたらよいか.筆者は批准をするなら早晩炭素税が必要になると考えているし, 炭素税を了解した上で国民の選択として批准するならば,それは結構なことだと思う.理由はいくつかある.

第 1 は,生活型環境問題であることから,国民自身が負担をしなければ問題は解決しないことである. よく「国民一人一人の心がけで温暖化防止!…」という大変きれいな常套句があるが, よくよく聞いていると「…でもお金は誰かはらってね」というムシのいい話しが多い. 心がけを示す最も重大な方法の一つはお金を払うことである.企業が悪いとか政府が悪いとか言って対策を求めても, インフレや失業といった形で,結局は目に見えにくい形で国民が負担することになる. それよりは,分かり易いように,直接負担をした方がよい.そのほうが経済への弊害も少なさそうだ.

第 2 は,炭素税以外だとどの制度でも「大きいところ」にしか効かないというムラができるからである. 直接規制も排出権取引も実態としては大口排出者にしか効かないだろう.小口排出者は行政が見きれないためだ. 自主的取り組みも,その実施担保が公衆圧力による以上,小口排出者への実効性は薄いだろう.

公害問題なら大規模なところだけ抑えていればよかったが,温暖化に関しては,むしろ大規模なところで 効率よくエネルギー転換をしていかねばならない.大規模なところをギュウギュウと規制すると, 小さな石油ボイラやらガスボイラやらがやたらと増えて逆効果になる.これは温暖化対策に逆行するだけでなく, 都市の大気質を悪くしかねない.

コスト負担のあり方は勿論問題になる.日本の素材産業がコスト負担をしてつぶれてしまっては, 地球規模の温暖化防止政策の観点から望ましくない.そこで,国民全体が薄く広くコストを負担し, あらゆる産業が温暖化対策をすることを助けてやる必要がある.

この炭素税で経済は疲弊するだろうか? そのようなことはない.それによって一般の消費は減るかもしれないが, 環境対策への投資は増えることになる.温暖化防止のために変わるのはお金の回り方であって, お金が消えてなくなるわけではない.炭素税を広く薄くかけたとしても,そのお金をうまく還流すれば 経済への悪影響は少ない.

もちろん炭素税なら無条件で良いというわけではない.

税収が既得権益化したり,特定部門をねらい打ちにして,安易な税率引上げがおきてはいけない. また,一部の利益保護のために減免措置が実施されてもいけない.よく聞いてみると,炭素税導入への反対論は, 税をとったあとの政府の行動に対する不信感に根ざしている場合が多い.これはもっともだ.どう対処すればよいか.

税収の利用目的を明らかにし,その流れをきちんと管理するシステムを作ることだ.税収の利用目的は,2つとする. 民間が外国から購入した排出権を国が買い上げるための原資にすること,および,国内の省エネ推進のために用いることである.オランダ政府は基準年排出の13%分を民間経由で外国から買い上げる大規模な計画を開始しており参考になる.国内の省エネは,新しい仕事を創出し,さらには産業の国際競争力の強化にもつながる.排出削減プロジェクトの相場が国際的に10000円/tC程度とすると,2000円/tCの炭素税による税収のうち半分は国際競争にさらされている素材産業に還付するとしても,なお日本の排出量の10%相当分をこの2つの使途によって削減できる.

税収還流のシステムでは,独立の理事会を設置して全体運営を管理させて, 削減量の認定など民間にゆだねられる業務は民間に委ねる.補助金の投入額は,排出削減量を客観的に評価して決定する. 京都議定書クリーン開発メカニズムはこれを国際的に実施しようとしている.この国内版を作れば, よい税収還流システムになりそうだ.

現行の税や補助金のあり方に疑義があるからといって,税や補助金制度を全否定するのは非建設的だ. むしろ,税や補助金が必要な分野がここに厳然としてあるのだから,これを機会に優れた制度を作り, これからの日本の制度づくりへの範とすればよい.

新しい日本のかたちをつくる

温暖化防止をしようと国民が行動を起こすならば,国民の選択の問題であり,企業が反対する性質のものではない. ただし,どのような制度であれ,最終的にその負担をするのは企業ではなく国民であること,これはよく周知せねばならない.

何が本当の国益かは,じっくり考えてみる必要がある.日本の製造業を海外に追い出してしまっては, そもそも温暖化防止に逆効果であるので,これは避けねばならない.しかし,あさましい欲望をかなえつづけることとは, 何れ決別しなくてはならない.そんなものは国益ではない.温暖化対策は消費は犠牲にするが経済は犠牲にしないようにできる.

確かに京都議定書の目標は不平等だ.しかし,外国に比べて日本が余計にコストを負担することになっても, 特に困ることはない.むしろこれを機会に,公共目的のために国民全体が広く費用を負担し,かつ公正に還流する, 優れた前例となる制度を作ればよい.日本にとっていま一番必要なことは,地に堕ちた節度を回復することであり, 温暖化防止はその機会である.

[(株)エネルギーフォーラム「エネルギーフォーラム」 2002 年 6 月号(ドラフト)より]



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