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Last updated: 2002.10.20
京都議定書の目標年は,2008年〜2012年に設定されているが,これ以降についてはどうすればよいか. 数値目標を再交渉するだけというのは,下策である.国々が態度を硬化させ,かえって温暖化防止政策を 後退させるからである.包括的な温室効果ガス勘定といった方法で,京都議定書を漸進的に改善することも, 本質的ではなく,中策に留まる.上策は,「法的拘束力の無い数値目標」を導入することによって, 各国が現実的かつ野心的な政策措置を打つように促すことである.
目的と手段を混同した議論がある.京都議定書の数値目標を守ることは手段である. 目的は温暖化防止である.当たりまえのことだが,これをまず確認しておきたい.
当たりまえのようでいて,専門家の中でもこれが分かっていない場合がある. 一部の法学者は,「遵守(コンプライアンス)」を非常に重視する. しかし,単に遵守したいのなら,初めからユルユルの数値目標にすれば誰でも遵守できる. さらに,罰を設ければ遵守するようになるかもしれないが,しかし,それでは野心的な数値目標を 言う国はなくなるし,議定書から離脱する国も出てくる. これでは,温暖化防止という「効果」は望めない.政策科学者が言うように,重要なのは遵守よりも 「効果(イフェクティブネス)」である.遵守は手段に過ぎない.
今月は,どのようにしたら温暖化防止の効果を挙げる ― 長期的・世界的な CO2 削減する ― ことができるか という観点から,京都議定書以降の国際的な枠組みについて考えよう.下策,中策,上策の順に話を進める.
京都議定書の骨格を変えずに,数値目標のみを再交渉するというのがこの策である. いまのところ,この交渉は 2005 年から始まり 2007 年に終わる,と一般には考えられている.
しかし,これは下策である.なぜか.
8 月号で述べたが,温暖化防止政策が世界各国で進んでいくためには, 「景気や雇用に顕著な悪影響を与えることなく,温暖化防止政策が実施できる」,という「実証」を, いくつかの国々でまず行う必要がある.
現在,どこの国も温暖化防止政策に踏み切れないのは,それをどうやっていいか分からず, また,どのような経済社会への悪影響があるか知らないからである.
ひとたび政策がフィージブルであると分かれば,各国内の政治バランスにおいて「環境保全すべし」 という意見が説得力を持つようになる.そして,温暖化防止政策が実施されるようになっていく.
公害対策の場合は,先進国がきちんと対策をできることを実証したおかげで, 途上国は早い発展段階から環境対策にきちんと取り組むことができた.
ところが,温暖化防止政策は未だ実証が行われていない.
かかる状況においては,第二約束期間の数値目標を議論したところで,国々は慎重な数値目標を設定せざるを得ない.
今のところ,国全体の温室効果ガス排出量は,国にとっては予測も制御も不確実きわまりないものである. 不確実であるために,ありうる不確実性幅のうち もっとも安全サイドで国々は交渉するだろう.
この結果出てくる数値目標は成り行きよりも なお保守的なサイドになる.これは 9 月号で述べた.
その一方で,欧州の一部の国々は,国内的な環境サイドのプレッシャーによって, 野心的な数値目標を持とうとするだろう.そして,その代償として他の国々にも野心的な数値目標を 言わせようとするだろう.さらに,外交ポイントを挙げるために,常に自分にとってより有利に見える 数値目標設定方法(90 年基準,絶対値)に固執することは間違いない.
これでは,数値目標に合意することは難しいし,仮に合意しても,後で退出する国が多く出るだろう.
何とかうまく交渉した国にとっては,その結果の数値目標は,"成り行き" と殆ど変わらないものになる. 対照的に,うまく交渉できずに,野心的な数値目標を言った国は,議定書から退出してしまう.
米国は入ってこないだろうし,となれば途上国も勿論入ってこない.京都議定書の失敗の再現である.
かかる議定書に意味があるか?
"成り行き"に近い数値目標を持った国々は議定書にとどまるであろうが,そのような数値目標であれば, 各国内での温室効果ガス削減計画を強化することにならない.議定書にとどまらない国々にとっては, 議定書の直接的効果は全くない.
単なる数値目標の再交渉は下策であるということがお分かり頂けたと思う.
京都議定書には,改善の余地がいくつもある.ここでは,そのうちの代表的なものを検討してみよう. いずれも一長一短ある.いずれにせよ,本質的な解決策ではなく,中策に留まるというのが筆者の判断である.
これは フル・グリーンハウスガス・アカウンティング (FGA) と呼ばれるものである. 京都議定書では,あまたある温室効果ガスのうち,6 種類のガスに対象が限定され,かつ, 森林や土地利用起源の排出・吸収については断片的な扱いにとどまった.FGA とは,これを改良して, 包括的に温室効果ガスを勘定しようというものである.
これには賛否両論ある.一方で,科学的に正確であるという観点から,自然科学者の多くは支持する. 他方で,排出量の算定にあたる不確実性が高いという観点から,その算入をすべきでないという意見も根強い.
面白いことに,この欠点とされることが,実は交渉においては転じて利点になりうる.というのは, 法的拘束力のある数値目標交渉をするとなれば,あらゆる国が安全サイドに立って交渉するために, 合意のための方便として,保守的なポジションと見かけ上の野心的な目標設定との隙間を埋める 新たな「柔軟性」が必要になり,FGA の不確実性をこれに利用できる可能性があるからだ.
ただし,交渉の俎上においては,これは京都議定書の吸収源交渉と同様に,新たな, しかも温暖化防止の本筋 ― エネルギーシステムの変革による 長期的かつ大幅な CO2 削減 ― とは関係の無い問題点を作り出すだろう. 京都会議以降,各国が吸収源を巡って投資した交渉資源は膨大であったが,決して生産的ではなかった. これは今後も続くだろう.FGA の導入は利が少なくして害が多いのではないか.
数値目標設定についてはどうも難しいようだが,排出権取引の仕様だけ決めてしまおうというアイデアがある.
仕様というのは,排出削減量を勘定する方法や,その登録の台帳の整備,記帳方法の整備などである.これさえ 標準化してしまえば,あとは,私企業でも,国でも,その仕様を利用して排出権の売買ができるようになる.
うまくいけば,1つの仕様がどんどん広がり,世界中で使われるようになれば,世界全体で1つのシステムができる. そのような既成事実ができあがれば,排出権市場を通じて温暖化対策を行なうということが社会常識となり, あとは各国内の政治バランスで徐々に数値目標が野心的に設定されていくことが期待できる.
クリーン開発メカニズムも,欧州で計画されている排出権市場も,米国で審議されている排出削減量登録システムも, だいたいは似たようなルールになるだろう.このようなルールや排出権取引の実務を通じた世界の温暖化対策の収斂と 前進というアイデアは なかなか面白い.
京都議定書の革新は,国際的な排出権取引に合意したことだった.しかし,後はどうもよくない. 具体的なルールづくりが全て交渉の場に委ねられているので,ルールの一文一文が バナナの叩き売りみたいに決められて,ここは押す,あそこは引く,そこは足して 2 で割る, などとやっている結果,全体的な統一性や使い勝手が二の次になってしまいそうだ. 本来,このようなルールづくりは,きちんと統一的に,十分にテクニカルな知識を持った人々が 行なうべきことであって,交渉担当者が取引をして決めるべきではない.
もっと良いルールができれば,京都議定書のルールもそちらに収束していくだろう. これは制度間の競争になる.それは米国のルールかもしれないし,欧州かもしれない. あるいは,ISO かもしれない.沢山あって大変だが,どのルールづくりにおいても, だいたいは同じ知的リソースに基づく.世界をリードする専門家はそうそう沢山はいないので, どこに言っても同じ顔ぶれになるのである.日本の戦略としては,そのサークルに入る人作りが決定的に重要になる.
このような,排出権取引制度を通じた,いわばボトム・アップの温暖化防止制度整備の可能性はなかなか興味深い. とくに,米国の関与を考えるときには,重要な項目になるだろう.
ただし,排出権取引は部門によって相性の良し悪しがあるので,全てをカバーするわけにはいかない. 大規模固定排出源におけるキャップ・アンド・トレード,および,メタン回収や DSM での ベースライン・クレジット制度は,どんどん発達するだろう.しかし,小規模な省エネや運輸部門などは カバーしにくい.さらに,国によっては排出権取引になじまないところもある.
ボトム・アップの排出権取引制度の整備は,興味深い動向であるが,しかし,多国間の議定書を完全に 代替するものにはならない.それでは,国レベルでは,どのような議定書を作ればよいのか.
始めに下策として退けたように,「京都議定書 第 2 約束期間の交渉をする」ということは, 国々の数値目標を,京都議定書と同じ法的拘束力の強さで約束するということである. これは,排出削減政策が実施できるという実証が世界のどこかであってからでなければ無理である. 2007 年までという時間は短すぎる.2012 年でもおそらく短すぎる.このようなハードな議定書を結ぶのは しばらく棚上げにして,2013 年からの 5 年間は,もっと別な可能性を探ったほうがよい.
京都議定書のような法的拘束力のある数値目標は,その法的拘束力がアダとなって,実態としては, 野心的な「目標」というよりは,むしろ,各国で温暖化対策が実施されて排出量が明白な減少傾向に転じた後で, それを事後的に「目標」と名乗る形になっていくと考えられる.これは欧州の酸性雨条約でも しばしば観察された現象である.
このような「事後的な」数値目標では,世界の温暖化防止政策を牽引する制度的道具立てにはならない.
一つの方便は,かかる事後的な数値目標を野心的に見せかけるために,FGA の考え方を利用して 新たな「柔軟性」を作りだすことだが,これは,本質的でない部分に政策資源を外らすという弊害が 懸念されることはすでに述べた.
また,政策措置に関するレビューという方法も,そのレビューを深化させることが 各国の国内利害に密接に 絡むために,うまくいきそうにない.
どうしたらよいだろうか.
温暖化防止という目的を実現するためには,エネルギー起源の CO2 削減を 焦点とした政府計画と政策措置を各国に実施してもらわねばならない.
このためには,象徴的なものとして,実質的な排出削減を意味する数値目標について, 国際レベルで設定することが有益だろう.
保守的なものにとどまらず,かかる野心的な数値目標を設定するためには, 数値目標の法的ニュアンスを弱めてやり,京都議定書と異なり「法的拘束力の無い形」で 数値目標を設定する必要がある.
このへんのニュアンスは,難しいところである.法的拘束力が強すぎれば,目標設定は野心的にならない.
他方で,法的拘束力が弱すぎれば,国々は数値を言うだけで何もしないおそれもある. ただし,これは避けることができる.数値目標には法的拘束力はなくとも,国々はその数値目標に向かって 計画をたて,政策措置を打つということを規定しておけばよい.
このようにすれば,実施に不確実性があるなかで,野心的な排出削減目標を国々は設定し, かつ,現実的な範囲でそれを実施していくことができるのではなかろうか.
このような,法的拘束力のない数値目標という考え方であれば,ブッシュの米国にとっても受け入れ可能である.
京都議定書の交渉で際立ったことは,米国の法システムは他国とあまりに違うことだった. 米国では,法的拘束力のある数値目標というものの持つニュアンスが欧州よりも強烈である. さらに,政権交代の影響が強く出るなど,外交政策のフレ幅も大きい. このため,数値目標に合意しようとがんばってみても,徹底して保守的な数値目標でしかうまくいかない. さもなければ,ふたたび,米国はどこかで離脱する.
米国は議定書に入らずとも独自の温暖化防止政策を打てば,それで地球環境は保たれるので, この観点からは,かならずしも交渉に米国が帰ってくる必要はない.とはいえ,米国は象徴的な存在であり, 最大の排出国であり,エネルギー浪費国である.米国が参加しない議定書においては, 途上国など他の国々も常に疑いの目を持ち,積極的な参加は望めないだろう.
数値目標達成に関する不確実性に関する手当てをする方法としては,ボローイング (排出量の時期約束期間からの前借)や,セーフティ・バルブ(トン当たり幾らという科料を払えば 排出削減を免れるという安全弁)の考え方もある.この可能性も否定はしない. しかし,議定書採択時には,これらの制度がどのぐらい実際に使えるものになるか分からない という不確実性がある.このため,やはり国々は保守的な態度を崩さないだろう.
現に,京都議定書においても,京都会議の時には「罰則はない」と明確に書いてあるのに, うやむやのうちに罰則を作る流れになってしまっている.こんなプロセスは信用できない.
初めから法的拘束力は無いとしておけばこんなことにはならない.
法的拘束力の無い数値目標の先例としては,欧州酸性雨条約の NOX 議定書に おける「30% クラブ政治宣言」がある.これは具体的な政策措置の裏うちが欠けていたのでよい先例ではなかったが, このような法的手段があるという先例にはなる.
かかる法的ニュアンスの弱い数値目標など設定しても意味がないという異論もあろうが,決してそうではない. 環境保全のためのよいメッセージにはなるし,環境大臣のパフォーマンスという目的は達することができるので, 政治的な落としどころとしては結構なところである.
よく「法的拘束力の無い数値目標」であれば気候変動枠組み条約の「0% 削減」同様に無視されるだけで 意味が無い とする意見があるが,これは間違いだ.法的拘束力の無い数値目標でも それが各国内の計画・政策措置に反映するむね規定しておけばよい.政府は,数値目標達成を確実にすることは できないが,計画をたて,政策措置を整備することはできる.できることを,確実に約束すればよい.
第一約束期間後の,新しい議定書として,筆者が考えているのは,法的拘束力のある数値目標と,無い数値目標の2本だてのテーブルを準備することである.前者には欧州が野心的な目標をもって入り,日米は保守的な目標を持って入る.
後者には,日米の野心的目標が入り,途上国も参加する.欧州は交渉時には日米を非難するであろうが, フタを空けてみてどちらがよりうまく排出削減できるかを競争してみればよい.
このような,法的拘束力の無いものと,法的拘束力の有るものの,2 本だての数値目標設定によって, 前者では野心的な目標と計画を立てることを促進し,後者では,他の政策目標と調整しつつ現実的な範囲で 対策を打つ可能性を国々に残しておくことができる.
このような議定書は,京都議定書の大改正でもできるだろうし,新たな議定書としてもよい. あるいは,単独ではなく,複数の国際法文書にしてもよい.法的方法にはいくつもある.
現行の京都議定書のまま殆ど手をつけず,数字だけ書き換えて終わることだけは避けたい.
[日工フォーラム社 「月刊エネルギー」 2002 年 10 月号(ドラフト)より]