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Last updated: 2002.09.01
京都議定書を批准したら,「何が何でも 6% 削減」をしなければ,「国際社会に見放される」のだろうか? 世界最高水準の省エネをしているのに,そんな馬鹿なことになるのだろうか?
そんなことはない.行うべき政策を実施して,それでも達成できないのであれば,なぜそうなったのか, 堂々と国際社会に向けて説明すればよいのだ.
今月は,欧州酸性雨条約を題材にして,「数値目標を守る」とはどういうことなのか, その勘所について説明しよう.これを正しく理解すると,「国内制度のあり方」も,その土台がガラリと変わる.
2 月号では,国際交渉術という観点から,「批准するならば,日本が京都議定書をどのように解釈するのか, 国会において“解釈宣言”をすることが有益である」と述べて,具体的な解釈宣言の例示も行った. 3 月号では,国内制度についても,必ずしも数値目標達成を最優先にしなくてよい旨を述べた. 今月は,そのような具体的な手段の話からは一歩引いて,これらの主張の背景となる知識について説明しよう.
京都議定書の核心は「法的拘束力のある数値目標」であるが,この意味をよく理解している人は, 実はとても少ない.数値目標とは一体何なのだろうか.守らなければこの世の終わりなのだろうか? それとも全く無視していいのだろうか?
京都議定書って一体何なのだろうか.できっこない数値目標を法的に設定していて, 隙間を埋めるために柔軟性 ― 悪く言えば抜け穴 ― をたくさん準備している.こんなものあっても 意味がないのではないか,と思いたくもなるだろう.
しかし,そう意味がない分けではない.京都議定書採択によって,「温暖化防止は世界にとって 重要な関心事です」というメッセージが強力に打ち出された.それまで温暖化問題は科学的にウソであると いいづづけたエッソなどの企業もしぶしぶ温暖化防止の潮流に従った.
単なるメッセージだけではない.京都議定書の最大の「武器」は,数値目標を法的に設定したことだ. これによって,各国は批准 ― 国会を通すこと ― にあたり,向こう10年の排出削減計画を整備し, それに対応した法制度整備を行い,政策措置を打つことになる.これは温暖化防止政策を押し進めようとする 官民にとっての強力な足がかりになる.問題への関心が高まり,対策推進に利益を見出す企業が生まれる. 政府はこの動きにさらに呼応する.温暖化防止へ向けて歯車が回り始める.これは地球環境保全のために良いことだ.
ただし.6% 削減という数字に凝り固まると,全く逆効果になりかねない.そもそも, 温暖化問題の解決は長期的かつ世界的なものだから,2010 年までに 6% 削減など達成できてもできなくても, 自然科学的にみればほとんど違いがない.要は,これまで増加し続けた CO2 の 伸びを鈍化させたり,あるいはそれを減少に転じたりできればまずは良いのであり,それで第一歩としては大成功である. 「数値目標」は,そのような変化を起こすための政策上の道具だと見なしたいものだ.
「国内で 6% 削減!」という「意気」は立派かもしれない.しかし,CO2 を コントロールするということは難しい問題で,いまだかつて成功した国はない. ひょっとするとうまく削減できるかもしれない.しかし,その保障はどこにもない.やってみないとわからない. このような状況で,国内だけで 6% 削減を無理矢理達成しようとすれば,大混乱がおきて, 折角の京都議定書が信頼を失い,「あんなものはナンセンスだ」と言って国民が放り投げてしまいかねない. 柔軟性を使うことのみならず,数値目標未達成になることもしばらくは大目に見てやって, まずは温暖化防止という規範を,具体的な法制度とセットで,時間をかけて育てていくという考え方が肝要だ.
「ウソをつくなら大きくつけ」といった大政治家がいた.京都議定書はそのようなものだ. これは外交・政治の妙である.分かりにくい微妙なことを言ったのでは,政治は動かないのだ. 数値目標は大変分かり易いメッセージだから,みなよく理解できる.大きなウソだから,いろいろな挑戦を産む. ただのウソに留まらず,現実にコトを動かす法的な仕掛けも施してある.そう思ってみれば,まことよく出来たものである.
さて,このように書いてくると,「そんな生易しいものではない,数値目標を達成しないなんて, 国際社会が許さないだろう」という意見もあろう.
果たして本当にそうだろうか.さまざまな手を尽くしたのに数値目標が達成できない場合にまで, 非難をされなければならないのだろうか.決してそうではない.
実は,過去に環境に関する「法的拘束力のある数値目標」を掲げた議定書は沢山あったのだ. この顛末がどうなったかを調べることで,「法的拘束力のある数値目標」とは何ぞやということを考えていこう.
「そんな昔のことを調べても,京都議定書と何か関係があるのか」,と訝る向きもあろう. しかし,実際に役に立つのだ.過去の事例に学ぶことで,京都議定書に書いてある文言がどのような意味を持つのか, どうしてそんなことが書いてあるのか,今後どのような発展がありうるか,といったことが分かる.
そして,法律というのは「先例主義」だから,「昔こういう事例があった」ということを知っていることは, 議論になったときに大変強いのである.弁護士は,法律や過去の判例・事例をつなぎ合わせて一定の論理を立てて, 論破を試みる.国際交渉でも同様なスキルが必要になる.
京都議定書は,だいたいはオゾン層保護に関するモントリオール議定書をお手本にして作られた. ただし,参考になったのは大変結構なことなのだが,これが話しを間違わせる要因の 1 つになっている. オゾン層を破壊するフロンガスと温暖化を引き起こす CO2 の性質は 根本的に違うのだが,これが交渉をしている行政官や,それにアドバイスをしている法学者にあまり理解されていないのだ.
フロンガスであれば,その削減コストは知れているし,よい代替物質も開発された. また対象となるのは幾つかの大メーカーだけでよかった.オゾンホールの発見という事件もあった. これらの理由が全てプラスに働いて,厳しい目標設定が可能で,どんどん排出削減ができた.
困ったことは,この成功にうっとりしてしまって,温暖化でもそれを同様に当てはめようと 安直に考える人々が実に多いことである.CO2 はフロンとは全然違う, 国民生活との関りの深い本質的な環境問題だから,実はモントリオール議定書の「成功経験」の大半は 京都議定書とは関係がないのだ.
さて,日本での知名度は極めて低いが,京都議定書には,もっとずっと参考になる兄貴分がある. 欧州諸国と米ソ(ただし,ご多聞に漏れず,米国はあまり積極的ではない)が締結した 長距離越境大気汚染条約 (Convention on Long-Range Transboundary Air Pollution, LRTAP.以下単に 「欧州酸性雨条約」とする) である.
欧州酸性雨条約は 1979 年に採択され 1983 年に発効して以来,1984 年に排出量モニタリングに関する EMEP 議定書,1985 年に硫黄議定書,1988 年に NOX 議定書, 1991 年に VOC 議定書が採択された.さらに,1994 年には第 2 次硫黄議定書,1998 年に重金属議定書と POP 議定書, 1999 年には酸性化・富栄養化と地上レベルオゾンに関する議定書という具合に,都合 8 つの議定書が採択された. 気候変動枠組み条約はまだ赤チャンだが,こちらは大先輩である.
欧州酸性雨条約には幾つも学ぶことがある.
第 1.「法的拘束力のある数値目標」の意義と限界が明らかになった.
議定書の大半は京都議定書と同じ「法的拘束力を持つ数値目標」を持っていた. これに対して罰則は定められることはなかったし,遵守を強制する仕組みも存在しなかった. しかし,国々は概ねこれを遵守したし,全体として酸性雨を防止するという目標には貢献した. 「法的拘束力を持つ数値目標」の効果は,各国が国内の計画と法制度を整備し,それによって 環境対策の歯車が前進する仕組みをつくることにあったのだ.
ときどき遵守しない国もあった.例えば,1988 年に採択された NOX 議定書の 「法的拘束力のある数値目標」は「1994 年までに 1987 年レベルに排出量を安定化すること」であったが, これをきちんと遵守したのは,全締約国 26 カ国のうち,17 カ国しかなかった. フランスは 3% オーバーだったし,ギリシャに至っては基準年排出量も報告していない上, 排出は増え続けたようだ.EC も排出量をまったく提出しなかった.
しかし,だいたいの方向性として排出削減に向かっていたこともあり,とくに咎め立てされることは無かった. 締約国の間では,ともに困難な問題に立ち向かっているという連帯感があり, うまく遵守できないのも悪意ではないということが了解されていたという.
第 2.数値目標を確実に達成する能力は政府には備わっていないことが明らかになった.
実は,NOX 削減については,さらに野心的な目標があった.
前述の通り NOX 議定書では「0% 削減」という議定書が結ばれたが, これを不満とする欧州諸国は政治的宣言という形でさらに野心的な「30% 削減」を謳った.
これら諸国は「30% クラブ」と呼ばれ,当時は環境団体からの支持も強かった. しかし,NOX は,CO2 と同様に, 運輸部門や小規模排出源からの排出が多く,工場だけではなくて生活に密接に関係した排出が多いために, 「生活型環境問題」と呼ばれ,はいじんや SOX に比べると その削減が格段に難しい.結局のところ,この 30% 削減の目標履行はほとんど失敗した.
京都議定書の数値目標は,少なくとも日本に関する限り,この NOX の 30% 削減に負けず劣らず困難な目標であるから,その履行が順調にいくとは考えにくい.
問題の性質上,国には NOX や CO2 の総量を 数 % という精度でコントロールすることなどできない.国にできるのは, 数値目標に向けて政策措置を打つところまでで,結果を保証することなどできない. 「6% 削減」というのは基本的には「できない約束」なのである.
第 3.議定書の効能は議定書外の国へも及ぶことを示した.これは米国や途上国の参加を考える上で 興味深い事実である.例えば,1985 年に採択された硫黄議定書を批准しなかった英国においても, 同条約が存在しつづけることによって政治的圧力を受け続け,結局は越境大気汚染を削減するために 石炭火力発電所に脱硫装置が設置されることになり,大幅な排出削減が行われた. このように議定書を批准しない国も議定書と全く無縁であるわけではなく,影響をうけつづけ, 何らかの政策のすりあわせは継続される.京都議定書に米国が不参加の場合には,同様のことが期待できるし, そうせねばなるまい.
以上から教訓を引き出してみよう.
(1) 政府は数値目標に向けて政策措置を打つという「行動」を起こすことはできるが, その達成という「結果」は保証できない.生活型環境問題の数値目標は,「政府が決めたから守れる」 というものではない.
(2) 「数値目標を守れなかったら,罰を受けねばならない」という考え方は,標準的ではない.
(3) 議定書に参加しない国とも政策のすり合わせをしつつ進めることで,地球規模の問題に効果的に 対処することができる.
重要なのは,まっとうな「やるべきこと」,地球環境に良いことをきちんとこなしていくことである. その結果として数値目標を達成できれば良し,もし出来なかったとしても,堂々と,何をしたかを述べればよい. 京都議定書は,「何が何でも数字を守れ」と言っている分けではない.
杉山大志 (2001), 京都議定書の採択が国内アクターに与えた影響,電力中央研究所研究調査資料Y01911,平成13年8月.
Victor, D., Raustiala, K., and Skolnikoff, E. B. (1998). The Implementation and Effectiveness of International Environmental Commitments, the MIT press, Cambridge.
Levy, M. (1993). European Acid Rain: The Power of Tote-Board Diplomacy, in Haas, P., Keohane, R.O. and Levy, M.A. (eds.), Institutions for the Earth: Source of Effective International Environmental Protection, the MIT Press, Cambridge.
[日工フォーラム社 「月刊エネルギー」 2002年 4 月号(ドラフト)より]