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Last updated: 2002.09.01
CO2 排出権を割当て,取引きをする「CO2 排出権市場」の日本での導入について考える.京都議定書によって国全体として厳しい数値目標がある中で 排出権市場制度を導入すると,経済活動への制約が大きくなることが懸念される. これは数値目標が緩い欧州とは事情を異にする.京都メカニズムが機能すれば問題は無いのだが, これは安易に期待できない.このため,日本が CO2 排出権市場を導入するには, 一定の価格で政府が不足分の排出権を供給する「安全弁」といった工夫が必要である. しかし,制度づくりの過程でこのような工夫に失敗すると生産統制的になってしまうので, 性急な制度導入は控えたほうがよい.
経済的手段(炭素税および排出権市場)は直接規制に比べて費用効果性において優れている,という主張がある. この考え方は,少なくとも「経済理論的には」正しい.だが,これを簡単に信じてはいけない.
政策手段の比較をしたいのならば,単に経済理論上の比較をするのではなく,その仕上がりを見て 比較しなければならない.それは法制度の形成のみならず,運用実態を含めた比較になる.
例えば,炭素税の導入に際しては,広範な税の減免措置が多くの国で講じられているので, 「限界費用が等しく」なることはまずあり得ない.
また直接規制の場合であっても,かつての公害規制に見られるように,規制には弾力的な措置が用意されていることが多く, 経済的配慮は常に為される.
このため,経済的手段が,果たしてその理論上示されているメリットを実現したか否かということは, 事後的に実証的な政策評価を行わない限り分からない.
G. マヨーネは,欧州における課徴金制度をこのような観点で検討した結果, 「経済的手段の理論上のメリットが実現したことを示す証拠は無い」と結論している.
マヨーネの検討を,温暖化対策の文脈で敷衍すると以下のようになる.
例えば,炭素税率を設定する場合を考えてみよう.炭素税率を部門,産業,エネルギー種別等ごとに設定するとき, 規制当局は,担税力,技術水準,産業側の動向を考慮する.また,そこではさまざまな政治的な圧力が働く. 税率はこれらの結果として設定され,さまざまな救済的措置とセットになって, 最終的な制度の全体像が構築されることとなる.
他方で,直接規制による場合を考えてみよう.このときも,規制値を定める過程においては, 炭素税のときと同様な要因が考慮される.すなわち,規制当局は,規制を受容する.
能力や,技術水準を考慮して規制内容を定める.また,ここでもさまざまな政治的圧力が働く. 直接規制は,これらの諸事情を勘案して設定され,さまざまな救済的措置とセットになって全体の制度が構築される.
このとき,直接規制においてもいわゆる柔軟性条項 (Flexibility Clause) が何らかの形で挿入されるのが普通である. このとき,直接規制と経済的手段の境界は,初等的な経済学理論に基づいて指摘されているよりも, ずっと曖昧なものになる.柔軟性条項とは「ある規制の目的を果たすために,それと同等な効果を挙げる手段を用いて 代替してよい」とするものである.この例としては,同一事業所内の大気汚染物質排出であれば, 個々の施設として排出基準を満たすのではなく,総量として基準を達成していればよいとする 「事業所内バブル」の例がある.
また,運用段階においても,しばしばムラが生じる.クロヨンと言われるように,税の徴収はいきわたらないことがある. 直接規制も,執行が行き渡らなかったり,弾力的に運用されることがある.こういったことは例外的ではなく, むしろ普通に起こることだ.
このように見てくると,直接規制と炭素税の制度の違いは,経済学的な観念の次元だけでは殆ど分からず, 立法・運用という政策過程に踏み込まなければ理解することはできない.実際のところ, 政策過程次第では両者は限りなく似通ったものになる場合もある.
政策手段の選択に関する議論では,経済学分析がよく用いられるが,それは決定的なことが言えるわけではなく, 考え方の一つを示しているに過ぎない.
経済学者のなかにもこの限界を指摘している人々がいる.「環境経済学上の理論的な公式は抽象的に過ぎ, 有用な政策を作成する段階で生じる技術的・法律的・政治的な諸問題の多くを解決するにあたって あまり参考にならなかった」とする指摘がすでに 20 年前からあった.
また,仮に制度が一つ詳細に定まったとしても,それが実際にどのような影響を経済全体に与えるかについて, それほどはっきりしたことは言えない.例えば,課税の作用について,経済学者の佐藤進・伊東弘文は, 「経済生活に対する課税の作用は,経済生活が余りに複雑で無限とも言える程に変化の可能性をもっているために, 大部分はあれこれの可能性について語るにとどまる」としている.
もしも,このような理解を欠いた形で地球温暖化対策制度を設計するならば,それは当初の目的を 大きく裏切る可能性がある.炭素税にせよ排出権市場にせよ,それが立法・運用の政策過程を潜り抜けた後に, 期待されたメリットを発揮できそうかどうか,慎重に検討せねばならない.経済学的分析は, 論ずべきことの一部に過ぎない
さて以下では,排出権市場の事例に学んでいこう.最も有名な事例は米国の SO2 排出権市場である.
この制度は,コスト効率的に排出削減が進んだ成功事例であると語られることが多い. しかし,本当に制度のメリットだったのかどうかはなかなか難しい.直接規制や排出課徴金などの 他の制度でもうまくいったかもしれないからである.
実際のところ,制度の選択よりは,対象とする物質に環境政策の成否は大きく左右されるようだ. ばいじんや SOX 対策はどこの国でもうまくいった. しかし,NOX は,小規模な排出源が多く, 健康被害との因果関係もあいまいなために,どこの国でもうまくいっていない. COO2 に至っては,抑制に成功した国は未だかつて無い.
SO2 については,米国では「排出権市場の成功例」として語られ, 欧州では越境大気汚染条約という「国際条約の成功例」として語られ,日本では法律を協定で補完した 「直接規制の成功例」として挙げられている.それぞれ自慢合戦を繰り広げているが, どのやり方でもそれぞれ成功しているのならば,どこの制度がベストという話にもっていくことには難がある.
SO2 排出権市場についてあまたある分析の中で,筆者が納得したメリットは, 「市場の力で低コストオプションが発見され,普及した」という点であった. 具体的には,簡易で低コストな排煙脱硫技術の普及などが指摘されている.これはどうも確からしいし, また,直接規制ではなかなか実現し得なかったメリットと言える.
日本の CO2 排出権市場の是非について論じよう.
まず,排出権市場の対象(排出権量と燃料使用量を突き合わせるところ)は,大規模な排出源に限られる. 小規模な排出源ではそれだけの手間隙をかけることができないからである.燃料輸入者を対象とする方法も 提案されているが,これは末端のエネルギー需給に与える影響が予期できないという難点のため, まだ遠い将来のオプションに留まる.
排出権市場の効能として「国全体としての排出量を数値目標に合わせることができる」という議論があるが, これはウソである.なぜなら,実際上は,排出権市場の対象は大排出源に限られるからである.
ただし,国全体の排出量を数値目標に「近づけ易い」という側面はある.すなわち,少なくとも排出権市場が 成立している範囲内では,排出権の発行総量を抑制したり,あるいは市場に介入して排出権を買い上げてしまうことで, 政府は排出総量をコントロールできるわけである.
しかし,これは政策として適切なのだろうか.
排出権市場で枠を被る側の懸念は,まさにこの点にある.「政府が安易に排出権の総量をコントロール するのではないか」ということだ.
実際のところ,政府は,排出権市場の外の排出源 ― 産業部門の小口排出源,運輸部門,民生部門 ― については, 総量をコントロールする便利な手段を持ち合わせていない.
このため,いざというとき ― 議定書数値目標がいよいよ達成できなくなりそうなとき ― には, 総量をコントロールできる対象に圧力をかけようという誘因は強くなるだろう. 排出権市場があれば,まっさきに標的になる.
さらに,排出権市場の対象は,目立つ大排出源に限定されると考えられることから,この傾向はなお強まるだろう.
またさらに,排出権の割当ては,見ようによっては,特定対象への政府による便宜供与とも取れる. そのような見方が広まれば,排出権割当て総量を削減しようとする社会的圧力は高まる.
排出権市場に入ったばかりに,他部門での削減失敗 ― ものすごくありそうなことだ ― のしわよせまでを, みな押し付けられることになってはたまらない.これでは不公平かつ非効率だ.
この「排出権割当ての先細り懸念」が拭われない限り,制度導入には慎重にならざるを得ない
それでは,どうして米国 SO2 排出権市場は導入できたのか. 実は,カラクリがあった.
それは,(1) 排出権をジャブジャブに割り当てたこと,(2) 排煙脱硫設備によってコスト上限が見えていたこと,である.
米国はもともと排煙脱硫設備は普及していなかったし,今でもあまり普及していないぐらいだから, SO2 の排出削減余地はたくさんあった. そのような状況において,過去の排出量をそのまま新しい排出権として認める「既得権益ベース」で排出権を割り当てた.
これは SO2 排出の多い企業 ― ふつうは最も規制導入に反対する企業 ― に対して, その生産活動の継続を認めるものだった.さらには,排出削減する企業にとっては実質的な補助金になった. なぜなら,そのような企業は何らかの方法で排出量を減らせば,余った排出権を売って儲けることができたからである.
このように,排出権市場のうまみは,制度導入時に「少々儲ける企業ができてもよい」という割り切りのもとに 制度を導入し,制度がまわりだしてから無理の無い範囲で全体の排出枠を減らしていけることにある. (なお,この既得権益ベースのことを,排出権市場の業界語ではグランドファザリング・ベースという. 「おじいちゃんが排出したのと同じだけ排出する権利をあげます」という意味である).
温暖化防止政策を組み立てることが難しいのは,単に「 GDP の 1%」といったコストがかかるからではない. 企業や国民が対応可能な形で制度を導入し,うまく調整を図っていくことが難しいのである.
排出権市場であれば,この問題を「初めは多目に割り当てる」という方法で調整できる. ここが排出権市場の一つのミソである.
以上のミソが実現できるなら日本で CO2 排出権市場も導入できそうだが, どんな工夫があるだろうか.
いくつかの選択肢を検討してみよう.
(1) 欧州式に緩い数値目標にする
(2) 京都メカニズムを頼る
(3) 米国式に京都議定書と別に数値目標を設定してしまう.
(4) 排出権の上限価格を設定する
(5) いったん多目に割り当てて,目標達成目指して政府が排出権を買い上げる
もちろん,(1) は京都会議で合意したのでいまさら覆せないし,(2) も日本は欧州よりも不透明性が高く, 安易な期待はできない.これは 1 月号で述べた.(3) はブッシュ提案を指している. ブッシュ提案は「何もしない」提案というだけではなく,実は将来の米国内排出権市場の含みがある. ブッシュの認識は,京都議定書の数値目標はナンセンスだが,温暖化対策をするなら排出権市場導入であり, このときは独自の総枠で実施する,ということだろう.しかし,日本は議定書批准にまい進しているから, これも選択肢ではなくなった.
すると残るは (4) (5) である.(4) は,「セーフティーバルブ(安全弁)」として知られているものであり, 一定価格(例えば炭素 1 トンあたり 5000 円)で政府が必要なだけ排出権を供給するというものである. これは米国 SO2 排出権市場の排煙脱硫設備が上限価格を事実上設定したのと 同じことを,人為的に設定しようというものである.(5) の「政府買い上げ方式」は,排出権を必要なだけ 企業に割り当てておいて,削減に成功したところから政府が買い上げることで日本の数値目標達成を 目指すというものである.
ただし,実際に制度が導入され,運用される過程で,(4) (5) のような考え方が認められるかどうかは, なかなか厳しい.京都議定書によって「国全体への非現実的な厳しい数値目標」枠がはめられてしまっているので, どのような経緯であっても,排出の多い企業に多くの排出権を供給することは,一般の支持を得にくそうだ.
(4) (5) もそうだが,日本で CO2 排出権市場を導入するならば, 「数値目標を厳密に達成することとはリンクさせない」という了解が要る.このためには,4 月号で述べたように, 数値目標を神格化せず,政策目標の 1 つとして相対的に捉えるという国としての解釈を固める必要がある.
まとめると,日本で CO2 排出権市場を導入しようとするならば, 国内的には生産統制的にならないための十分な排出権を供給することに国民の支持を取り付ける一方で, 対外的には数値目標を絶対化しないという解釈を固める作業が要る.
これだけの前提をうまく整えることができればよいが,なかなか容易ではなさそうだから, 排出権市場導入に対しては慎重にならざるを得ない.
排出権市場の導入は「京都メカニズムが円滑に活用できる」という外的条件が確固としたものになるまでは 控えたほうがよい.当面は京都メカニズムを育てる段階になるが,この間はオランダの ERUPT などのように, 民間が購入した排出権を政府が調達する仕組みの方がよいだろう.
[日工フォーラム社 「月刊エネルギー」 2002年 5 月号(ドラフト)より]