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Last updated: 2010.11.28
カンクンに向けての国際交渉や,国内での温暖化対策の議論で,どうしていろいろな意見が出るのでしょうか?自分に課せられる制約はイヤだ... という議論はあるのですが,それを正当化する説得力のあるロジックはあまり聞いたことがありません.自分に都合のいい面だけを強調して,その他の面も評価して結論づけてはいないケースがほとんどです.
もちろん,国や人によって考え方が違うわけですが,基本となる考え方を整理しておきましょう.わたしは,
というクライテリアをまず共有すべきだと思います.
責任には「絶対的な責任」と「相対的な責任」がありますが,話をシンプルにするために,まずは「相対的な責任」をベースに考えます.
たとえば,産業部門は日本の排出量のうちのXX%を出しているが,責任はYY%を担うと考える.なぜならば... という考え方から入るわけです.それがどこまで説得性のある理由か?という議論がそこでできるわけです.
たとえば,産業界は京都議定書以降かなり自主努力で減らしてきたため,その努力を考えると,相対的な責任を決める基準年としては1998年とすべき,という主張は,それなりに説得力がありそうです.
一方で,国内クレジット制度は,中小企業にインセンティブを与え,それを購入する大企業を規制するということでもありますので,中小企業の責任が相対的に非常に小さいことを意味しています.先進国と途上国の関係のような責任の大小が,大企業と中小企業の間にあるのでしょうか?
そして,次に,それを達成する「手段」の議論になるわけですね.
実際は,その「責任」を達成しさえすれば,その手段は自主行動計画であっても,排出権取引であっても,課税措置であっても,コマンドアンドコントロールであっても何でもいいわけです.
ただ,自主行動計画の場合,達成を担保することを産業界がしなければならないでしょうし,課税措置などの場合には,不足が生じたときの責任は政府にあると想定されます.
どうやれば責任を果たしたことになるか?という点は,上の産業界の例ではわかりやすいように(国全体が絶対量目標であるため)絶対排出量の目標遵守(ただし排出権を使って達成することも可)ですが,民生部門など,それがむつかしい部門では,お金を払うことによって責任を達成したとみなす... という手法もあります.課税手法ですね.
その場合,絶対排出量における責任を未達の場合,その課税を行う政府がそのギャップを埋める責任があるということになります.
温暖化対策税などは,分野横断的で,また自動車用燃料の税金という形ですので,その相対的な責任の議論をきわめて見にくくしていて,わかりにくい措置となっています.
たとえば,産業界は排出権取引,それ以外は課税措置... という切り分けでしたら,よりわかりやすいですね.
排出権取引がイヤなら,課税措置側に移動することもできる... という柔軟性を設ければ完璧です.文句は出せません.
同じく文句が出せない手法は,産業界への規制措置を,産業界自身に決めてもらうことです.産業界の総量(責任の大きさ)だけを決め,それを遵守することを担保してもらえるなら,手段は何でもよいわけですね.
さて,温暖化対策税に関する議論などで,逆進性が問題視されるケースもあります.これは温暖化対策税のみの問題ではなく,生活必需品であるエネルギーへの課税や規制措置は,相対的に貧しい人に大きく影響を与えます(その税収を用いて裕福な人の太陽光発電に補助をすることの歪みも指摘できますね).ただ,間接税という手法は,すべからくこの問題を含んでいます.直間比率を間接税にシフトするという方向性が是認されるなら,これはむしろその方向性に沿った措置でもあります.本当の貧困世帯には,別の手法で補助をすればいいわけで,だからといってエネルギーへの課税がけしからんという議論は間違っています.
GHG抑制という手段は,できるだけ「それぞれの責任」の考え方に基づいて「同じカテゴリーの中では公平に」わかりやすくデザインすべきで,それによって生じるであろう歪みは,それに特化した政策手法で対処するべきでしょう.
さいごに,なかなかむつかしい点を指摘しておきましょう.日本の国内は日本政府が最終的に排出総量に関して責任を負うわけですが,グローバルな排出量に関しては,誰も責任を負っていません.それが国際交渉がむつかしい原因でもあるのですが,たとえば「中国が排出規制を負わなければ,日本も排出責任を拒否すべきである」という主張はどうでしょうか?あまりこのことを明言している人はいないかもしれませんが,実質的にそう行っている人はたくさんいます.
さらには,日本の企業に対しては原単位規制でなければならないが,中国は総量規制を受け入れるべきだ,という主張はいかがでしょう?
自分の責任と,主張していることに矛盾がないか,よく考えてみたいものです.
[この文章は,ナットソースジャパンレター 2010年 11月号に寄稿したものに,少し変更を加えたものです]