Upper Image
Climate-Experts Logo

ウインドウ内の余白部分を左クリックすると 【メニュー】 がでます. あるいは ページ下の リンクボタン をお使い下さい.
Netscape 4 の場合,再読込ボタンが機能しないことがありますが,その場合 url 表示窓をクリックし, Enter キーを一度打って下さい.

Last updated: 2003.01.01  

ベースライン・ルールを国産化すべし
 ― クリーン開発メカニズムの上手な育て方


要約

クリーン開発メカニズム (CDM) のベースラインに関するルール作りは,国際交渉だけに頼っていては失敗する. 十分に詳細化できないし,ミニ太陽・風力だけを優遇するような 美人投票に陥るからだ. ルールは,日本国 ないしは 産業界の手で 国産で作り上げるべきである. 日本は CDM の最大の買い手だから,それを デファクト・スタンダードにできる. 他方,京都議定書に対応した国内制度としては,国内版 CDM を作り,排出削減に補助をあたえることが 望ましいが, このルールは CDM とは異なって然るべきである.内外のルールの整合性を 追いかけすぎては 政策を誤るだろう.


本文

クリーン開発メカニズム CDM について

まず 簡単に CDM の紹介をする.CDM とは,京都議定書で定められた 京都メカニズムのうちの一つである. これは,日本などの先進国が 中国などの発展途上国に対して投資を行い,投資対象となったプロジェクト案件から 算定される CO2 排出削減量を, 日本の数値目標達成のために用いてよい というものである.

CDM においては,ある事業者が 排出削減プロジェクト活動を行うと,オペレーショナル・エンティティー(運営機関) と呼ばれる機関によって 排出削減実績が認証されて,CER と呼ばれる クレジット(排出削減の証書)が 発行されることになる.

京都議定書の数値目標が設定されている「第一約束期間」は 2008 年から 2012 年であり,まだ だいぶ先のことであるが, CDM によって 2000 年以降 2008 年以前に発生したクレジットも 第一約束期間の数値目標達成のために 使えることになっている.

1997 年採択の京都議定書では「クリーン開発メカニズムを実施してよい」という以外の 詳細はほとんど決まっていなかったが,2001 年のマラケシュ合意において やや詳しいところまで ルールづくりが進んだ. すなわち,CDM 理事会が設置されて 活動を開始し,さらに 詳細なルールづくりを 継続して進めている.

CDM 理事会のルールづくり作業に関しては,筆者も 理事会の下に設置された「小規模 CDM パネル」で 専門家として 活動してきた.この活動には,小規模 CDM 専用の「簡素化されたベースライン」づくりも含まれており, 筆者は ベースラインについて 一通り考える機会に恵まれた.以下は,その考えを私見として述べる.

ベースラインには政策的判断が必ず入る

CDM ベースラインに関するルールづくりについては,一般に思われている方向性と, 筆者の思う方向性が だいぶ違う と感じることがある.

一般によく思われていることは,CDM におけるベースラインの設定は, 科学的・技術的に 排出削減量を算定するものであって,技術専門家が実施すれば 誰でも答えは一緒になる ということである.

しかし 実際には,ベースラインをどう設定し,その結果として どの程度の排出削減量を認定するか ということは, 科学的・技術的知見も もちろん背景にはあるが,政策的判断の要素が大きい.

具体的に言おう.ベースラインとは,その「プロジェクトなかりせば」の場合の 排出量のことである. 排出削減量は,そこから 実際に排出された排出量を 引いて 算定する.

しかし,「プロジェクトなかりせば」の場合というのは,実にいろいろ考えられる. 例えば,中国に天然ガスの発電所を建てるという場合に,「それがなければ 石炭火力発電所が立つ予定だった」 という見方もできるし,あるいは,「そうはいっても 更地に天然ガスの発電所を作るのだから, それは排出が増えたのだ」ということもできよう.

もちろん,さまざまな 社会経済的 あるいは 政策的要因を加味して,「なかりせばの場合」というものを, 詳細に分析をすることができる.これにより,できるだけ多くの人の納得を 得ることもできる. しかし,主観的要素は なお依然として多く残るもので,完全に取り去ることなどできない.

主観的要素が入るということは,その取捨選択をしなければ 物事が進まないから,何らかの 政策的判断が必要になる. あるいは,一見 客観的なようであっても,何らかの政策的判断が,暗黙のうちに 入ることになる.

かかる政策的判断が入りこむことは,それ自体は 何ら問題ではない.むしろ,これは 環境政策として ごく普通のことである.

CDM は 一種の環境政策であり,環境政策においては,環境基準や排出基準などは 科学的・技術的に 一意に 定まるものではない.むしろ,科学的・技術的な知見は 一定の幅を 政策決定者に提示するにとどまり, 政策決定者は その幅の中から 政策的割り切りを下して 基準を作るのが普通である. CDM についても,主観性があるから ベースラインという概念自体が 使い物にならない ということではない.

ただし,政策的判断が入るということは 陽に認識すべきであるし,さらには,CDM を利用しようと思うなら, 自らの政策的判断を反映するために,ベースラインづくりのプロセスに参加するのが 得策である.

国際交渉では 具体的なルールづくりができない

それでは,どのように参加したらよいだろうか.国際交渉である COP に働きかけるというのが 一つの方法であるが, どうだろうか.

残念ながら,COP の場では,技術的な要素までに 踏み込んだ 判断まで こぎつけることが難しい.

これまでの COP の交渉においては,「政策的判断は存在しない.ベースラインは 科学的・技術的に決まる」 というフィクションを 前提として 議論がなされてきた.

ところが,実際のところは,国際交渉の場において 踏み込んだ判断は ほとんどできてこなかった. この理由は,まさに,ベースラインの設定が 政策的判断を含むからに 他ならない.

具体的に,マラケシュ合意までの交渉の いきさつで言おう.欧州連合などは 太陽・風力などの 再生可能エネルギーを優遇するようなルールづくりを求めていた. これでは バランスの取れた温暖化防止政策とはいえない ということで,その他の国々は これに反対していた. このように,国際交渉においては,政策判断にかかわる事項になると,ただひとつの項目をめぐっても 相当な交渉が必要になり,なかなか物事が進まない.

判例主義の落とし穴

このような交渉経緯が背景にあって,CDM は,判例主義(ボトム・アップ・アプローチとも呼ばれる)を とることになっている.これは,新しいベースラインの方法論の提案があった段階で,その方法論を審議し, 認められたものから実施していく,後から提出されたプロジェクトは 先例にならって進めていく, という 漸進的な制度づくりの方針を指す.

この判例主義が危険なのは,だれも踏み込んだ政策的判断をできない いわば空白状態においては, そこを実現することは プロジェクトタイプごとの 美人投票の域をでない ことである.

例えば,小規模プロジェクトや 再生可能エネルギープロジェクトであれば,環境 NGO などにも受けがよいので, これは かなり恩恵的に クレジットが与えられることになるだろう.

その一方で,美人投票ならぬ 魔女狩りも おきる.生態学・工学的に見れば CO2 削減という点で 全く遜色がないもの, あるいは より優れたプロジェクトであっても 成立しないということがおきる.

例えば,大規模なプロジェクトは,小規模なものよりも 有効性が高いと考えられるが, 大規模だというだけで 反対するグループもいるから,プロジェクトリスクが大きくて,実現しにくいかもしれない. 火力発電の効率改善なども,石炭火力であれば 排出削減量が低く見積もられるといったことも 予想される.

少々の反対であれば,道理が通っていれば押し切れるかというと,なかなかそうでもない.CDM のプロセスは, 今の所,かなり開かれたプロセスになっている.開かれたプロセスであるという意味は, パブリックコメントを受けたり プロジェクトの審査を やり直したりする過程が 設けられているということである. この様な「開かれたプロセス」にするという要請は,国際社会,特に 国連機関においては強く,不可避である. 国連の職員は 選挙を受けて選ばれた人々ではないので,正統性について 常に疑問符をつけられるからである.

このように,判例主義にプロセスを委ねると,政策判断の空白において,美人投票や 魔女狩りがおこり, 排出削減を 合理的に勘定する という制度になりにくい ことが予想される.

ベースライン・ルールを 国産化しよう

それでは,国際交渉任せでないとすれば,どう ルール作りに参加すればよいか.

筆者の答えは,国レベルで ベースラインに関する ルール ないし ガイドラインを作り,これによって, ベースラインに関する 一定の政策判断を下しておくことである.

これを 日本がやるべき理由が三つある.

第一は,京都議定書において,CDM を大量に使わなければならない国は,事実上 日本だけであり, 最大の ステークホルダー(利害関係者)だからである.

第二は,日本がそれをしない場合,ルール決定において オランダなどの他国が ますます先行し, それが 既成事実となっていく結果,日本が活用したいプロジェクトや ベースラインが, なかなか利用できなくなるからである.

第三に,国が関与した政策判断は どのみち必要なためである.これについては説明がいる.

実際に CDM を始める段になると,怪しげなベースライン提案も 沢山出てくる.一見まともそうなプロジェクトでも, リーケージの扱いなど,グレーゾーンが多く含まれる.

どのプロジェクトも,投資国の承認が必要なので,日本政府も それを求められる. 日本国としては,それに対して,形式的要件を満たしているだけを 審査して 承認するのではなく, ベースラインなどの実体についても,適切な方法論を用いている という安心感が,ある程度は 欲しいところだろう.

その様な 実体に踏み込んだ判断をするのは,政府ではなく 運営組織という建前になってはいるものの, プロジェクトを承認して国として CER を受け取る以上,あやしげなプロジェクトばかりを 承認していたのでは, 日本国政府としての面子に関わる.

それに,運営機関は看板を気にするから,削減量を どの程度認定するか 判断に迷う場合は, 相場を反映する 保守的なアクターになり,新規の方法論や解釈には 踏み込みにくいだろう.

前述したような,議論が分かれるプロジェクトは,どのみち 論争になるのは避けれらないが, 一定の政策判断を国として示しておき,それに基づいて CDM プロジェクトの 承認・非承認 を行なえば, 個別のプロジェクト実施者が 正当性を説明する負担は 相当に和らげることができよう.

かかる政策判断をする候補としては,ISO などの国際標準や,あるいは 産業団体もある. このうち,国際標準については,やはり 多国間交渉の色合いが強く, 技術的に 踏み込んだ判断まで進むことは 難しそうである.産業団体も, 国際的な広がりをもつ団体であれば 似たようなことになるのではないか.

国内の産業団体でも同じことができるが,この場合には,産業界の 自主ガイドラインとするのがよいか, それとも 国のガイドラインとするのか の違いがあるが,自主ガイドラインにせよ CDM で 国の承認を得るためのものなのだから,何らかの形で 国からのオーソライズは 要ることになろう.

CER の政府調達を 国産ルールで実施すべし

日本政府という主体であれば,ベースラインに関して,参照とする 技術水準や原単位指標(ベンチマーク)の設定などを含め, 国際ルールでは踏み込み得ない 詳細なルールを作ることが可能である. そして,そのようなルールは,政府が CER 調達制度を発足させた上で 実施することが 望ましい.

理由は,調達制度の一部とすることで,使い勝手がよく,かつ,多方面からの議論に耐えられるような, 出来のよい制度にする動機付けを,政府自身に与えることができるからである.

日本政府による調達が実現すれば,それは CDM 市場における最大の買い手勢力になり, したがって,そこで設定される ルール ないし ガイドライン は,デファクト・スタンダード(事実上の標準)と なるだろう.

国際機関や他国が CDM ルールを作るのを,手をこまねいて見ているべきではない. 最大の CER 購入者としての 市場支配力を 国際ルールづくりにも 活かすべきである.

CDM の ポテンシャルとコストは?

ベースラインについて 詳しく論じてきたところで,この観点から CDM のポテンシャル (世界全体での CER の発生量)と コストについて 言及しておこう.

ポテンシャルについては,桁を間違った過大評価が蔓延している. よく,世界規模の 計量経済モデルや 技術評価モデルで 限界費用を一定 として見積もったポテンシャル評価が 紹介されている.しかし,かかるモデル計算に基づいたポテンシャルは, 良い第一近似にすら なっていないだろう.

これは,モデルで実現すると考えている CO2 削減機会を, CDM プロジェクトに 引き戻して考えてみればわかる.モデル上では 一定のコストさえかければ, 大規模に燃料転換されるとか,あるいは 省エネルギーが大規模にすすみ,それが CDM になる と想定されている. しかし,そのような選択肢は,化石燃料間の 大規模代替だったり,なりゆきと区別のつけにくい 新規設備による 大規模省エネ事業であったりして,CDM プロジェクトにしようとすると 論争的になるものが多い. 実際にプロジェクトになって CER を得ることができる CO2 削減機会は もっとずっと限られている.

問題はこれだけではない.モデルではベースラインは非常にすっきりしている. それは炭素の価格が ゼロという状態である.ただし実際には,ベースラインを推計する作業は複雑であり, 政策的判断も入る.結果として,実際に適用されるベースラインを集計したものと, モデル上での 炭素価格がゼロの場合として実現されるベースラインは,かなり食い違うだろう.

CDM のポテンシャルを見積もる 最も良い方法は,既存のプロジェクトを調べ, そのようなプロジェクトが あとどのぐらい実現できるかを 勘定してみるという,CDM プロジェクトベースでの 積み上げ計算だろう.これを行なうと,CDM のポテンシャルは ずっと少なくなる.

コストについても同様であり,世界規模のモデルから試算される数値は たいした参考にならない. コストは,ポテンシャル以上に いっそうベースラインの設定に関する 政策判断への依存度が高いので, モデル計算の答えの意味するところは いっそう乏しい.

国内版 CDM と 政府 CER 調達のすすめ

2 月号で,筆者は 薄く広い財源をもって 数千億円程度を集め,排出枠の国際調達 および 国内の温暖化対策支援を行なうべし,と述べた.ここで 筆者がイメージしているのは, 国内についても CDM に類似した ベースライン・クレジット方式 ― 国内版 CDM ― を採用することである.

なぜ 国内版 CDM が必要か を説明する.京都議定書は 日本にのみ過大な負担があるから, 規制強化には限界があり,政府による 温暖化対策支援措置が必要である.ただし, 政府からの支援措置を 旧態依然のまま 続けることは 世間が許さないだろうから, 透明性・効率性 を高めるために 理事会や認証機関などの 独立機関や 民間機関の関与が必要になり, いきつくところは CDM のような 組織立てになるのである.

かかる国内版 CDM のメリットの一つは,「内外炭素価格差拡大の防止」にある. 「防止」が必要なのは,京都議定書の数値目標に 片寄りがあるために,国内での排出削減の限界費用が 国外に比べて かなり高くなってしまうおそれがあるからである.

国内政策に 基本を置いたほうが良い という考え方には 賛成だが,海外に比べて あまりに炭素の価格が 高くなってしまうようなことになれば,それは 見過ごせない非効率であり,ブレーキをかけねばなるまい.

それを予防するためには,内外において 似たような価格シグナルがあり,両者の開き具合が 分かるようにしておけばよい.

同じ価格シグナル機能は 国内 キャップ・アンド・トレードでも果たせるかというと,そうではない. 日本が 国内 キャップ・アンド・トレードをやるなどといった瞬間に,世界中の CER 価格は 10 倍に跳ね上がるだろう.

政府による CER 調達制度の よいところは,調達量と価格を 毎回設定することができるので, 市場への攪乱の様子をみつつ 進めることができる点にある.もしも 世界の京都メカニズム市場が 未成熟であれば, 財源が底を着いたところで,調達を見合わせて 不遵守となる選択肢がある.

対照的に,キャップ・アンド・トレードでは,コストが陽に国民に問われないこともあり,6% という呪縛から 離れられないという 足元を見られて,柔軟な政策判断が取れないだろう.

内外でのベースラインは 別物と理解しよう

さて,国内版 CDM のベースライン・ルールをつくる場合に,それは 国際的なものと同一であるべき という議論がある. しかし,この議論は間違いである.

理由は,CDM と 国内政策は異なる観念に基づく政策であり,従って,そこで下されるべき政策判断も 当然異なるからである.

国内版 CDM は 国内政策における 補助金に近い.これと異なり,国際版 CDM は,もっと別の, 国際協力,南北問題の改善,持続可能性の実現など,高尚な概念(もっとも, 実際は えげつない 援助分捕り合戦の様相も呈するが)を含んでいる.

たとえば「小規模再生可能エネルギーについてのルール簡素化」は,CDM を早期立ち上げしようという 国際政策上のコンテクストで はじめて意味をもつものであるし,シンクについては後回しにするというのも, 途上国は 排出枠を被っていないし 統計の不備が多いといった事情を 反映してのことである.

かかる政策判断の内容は,判断を下す主体によって 当然異なる.日本国内で 小規模プロジェクトを優遇する必要が 見当たらなければ,そのために 特別に 恩恵的なベースラインを設定する必要も 当然ない.

他方で,国内的にみて 推進が望ましいとされる技術選択肢であれば,国内版 CDM では 京都議定書 CDM よりも 恩恵的なベースラインを 引いても 良いはずである.

欧州では,再生可能エネルギーを優遇する制度や,天然ガスへの転換を促進する制度を作っていくだろう. 日本は 日本の政策判断でルールをつくればよいのであって,欧州のものを そのまま 国内で実施するのは おろかなことである.

国内版 CDM の 京都議定書 CDM にくらべて有利な点は,排出削減量の勘定に関して, それほど神経質にならなくて 済むことである.

ベースラインを どこに引くかという政策的判断 ないしは 割り切りを行なうにあたって, 国際社会では あまりにもプレーヤーが多すぎ,調整に 手間がかかりすぎる. 対照的に,国内環境政策における政策判断として おこなうのであれば,割り切りは もっと大胆にできるし, それは 環境政策としては ごく普通のことである.むしろ,小気味よく決定して, プロジェクトを どんどん促進していくことの方が 大事であろう.

もっと言えば,国内版 CDM という場合には,ベースラインというのは 観念の一つとして理解しておけば 十分であり, 限界削減費用が 極端に開くことの歯止めになればよい.勘定が 5 倍違うと問題かもしれないが, 2 倍程度の誤差であれば,それを許容しても,十分に 温暖化対策支援措置としての 所期の目的は果たせるだろう.

日本国内の ベースラインのルールは,京都議定書 CDM のものと 同じであるべし という議論をよく聞くが, これは,そのほうが 多国籍企業にとって 活動しやすい という以上に 意味があるものではない.

むしろ,内外のルールは別物にしないと,全く異なる政策判断が 外部から国内政策に進入してくることになり, 日本の温暖化防止政策の 整合性が崩れることになる.このほうが よほど害があるのではないか.

国内 CDM は,新たに制度をつくってもよいが,既存の 補助金・融資制度・省エネ法 などとの 整合性を計らねばならない. むしろ,新組織に 全てを一元化するというのは 政治的コストが多かろうから,既存の 補助金・融資制度を拡充する際の, 全体の概念枠組みとして 国内 CDM というものを考えたほうが,実現しやすく,実効性が高い制度が作れるかもしれない.

内外で 異なる政策判断に基づくルールになるとしても,基礎的な知見部分は 共通に使いまわしが効く. 国内でのルール作りの経験は,国際ルールの 国産化能力をおおいに高め,国益へ大きく寄与するだろう. 京都議定書に関して,これまでの日本は 受身姿勢が目立ったが,そろそろ 積極姿勢に転じたいものである.



[日工フォーラム社 「月刊エネルギー」 2002 年 12 月号(ドラフト)より]



Move to...

Go back to Home
Top page

Parent Directory
Older Article