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Last updated: 2003.11.07
Climate Experts
松尾 直樹
森田さんのことを最初に知ったのは,もはや いつのころかよくわかりません. 温暖化問題に興味を持ち始めた頃,すでに 彼は 光り輝いていました. その後,彼のプレゼンテーションなどを拝聴する機会などは何度もあったものの, 実は,ちゃんと会ってお話ししたのは,かなり遅かったような気がします. たしか,森田さん,川島さん(現在の亀山さん)と,日比谷公園で食事をしたような気がします.
彼の AIM に関する業績は,いまさら わたしなどが言うまでもないことですので,ここでは 研究者の大先輩として わたしが彼から受けた影響に関して 書いてみましょう. ただ,わたしは,彼から 直接 教えを受けたことはありません.彼の プレゼンテーションや発言などから, 自分なりの解釈を行っているものです.したがって,彼の真意から逸脱している可能性もありますので, そのあたりはご容赦下さい.
これもだいぶ昔でしたが,わたしがエネ研時代,シンクタンクの研究員としての「あり方」を いろいろ考えていた頃がありました.そのころ,たまたま書店で見つけた本に,別冊宝島「シンクタンクの仕事術」 がありました.その中に,森田さんが書かれた文章が載っていました. わたしがいまでもよく覚えているのは,「T 字型研究者になれ」ということでした. すなわち,広くいろいろなことを総合的に見る(分析できる)視野の広さに加え, 深くふかく追求する分野をひとつ持つべきであると言うことでした. 実際,森田さんは,広範な視点に基づく分析力に加え,複数の領域で,絶対 他人に負けない専門性を 備えた方でした.T 字型というより,Π 字型研究者というわけですね. (彼は 宝島に書いたものに関しては 幾人かから 批判を浴びたとおっしゃっていました...).
わたしは,広範な総合的観点で分析できる... という点を,「社会は複雑な多次元ハミルトニアンで,それを いかに対角化できるか?」というような 元物理屋的な発想で解釈したのを覚えています.Π 字型という点では, 少なくとも温暖化問題に関しては,どの領域でも,その道の専門家と きちんと専門性のある議論ができるようになる, と決心したものでした(どの程度実現できているか は,皆さんの判断にお任せします).
森田さんは AIM モデルで有名ですが,実は 彼の博士論文は,環境アセスメントに関するものでした. いちど,見せて頂く機会があったのですが,う〜ん... と唸ってしまうほど すばらしいペーパーだったのを いまでも覚えています.分析のたしからしさ,論理的詰めの完璧さ,説得力... 研究者としての 彼の実力に 感心しました.やはり かなり高水準の Π 字型研究者なのですね.
IPCC の作業において,わたしは TAR (第三次評価報告書) および SRES (シナリオに関する特別報告書) において, 彼から多くのことを学びました.エネ研に入ってから,「予測」,「見通し」,「シナリオ」などの 概念整理とその使い方にとまどっていたわたしは,SRES,そして森田さんが リードオーサーをされた TAR 第 2 章で, 「シナリオ」の重要性と,その「メッセージ性」という点を学びました. 「IPCC の価値と統合報告書」, 「モデルや見通しの結果の読み方」, 「IPCC 第 3 次評価報告書の意義 ― 科学から政策へのインプットのあり方」 (581 kB) などは,彼から得たものがベースになっています.
彼は,アカデミックな研究者にとどまらず,それが社会に役立たないと意味をなさない,という考えを 持っておられるようでした (少なくとも 彼自身の研究に関しては,そうされていました). わたしは,元物理屋ですので,役に立つ立たないを超えた価値を 学問に見いだしていますが,こと 環境研究に関しては, けっして 研究者の自己満足に終わってはならないと思っています. その意味で,彼よりも 実社会に近いところで活動していますが,同時に 物理屋時代からの 純粋な研究者としての 顔も持っていますので,やはり 彼から 多くのものを 得たと思っています.
彼のすごいところは,ご自身の研究者としての能力の高さだけでなく,ひとを育てるというところに, ただですら殺人的な仕事をこなしつつ,多くの時間を割いてきたということです. AIM プロジェクトの アジア発展途上国の研究者の人々,NIES の彼の下の研究者, 東工大などの大学院生など,彼から指導を受けたり,さまざまな機会をもらったりした人は多いでしょう. わたしも学生さんの面倒を見ることもありますが,彼のレベルにはとうてい及びません.
彼は,なんでもできるスーパーマンでしたから,彼に物事を頼べば,期待を裏切らない,いや期待以上のものが 返ってきました.みんなそれを知っているものですから,みんな彼に頼み事をしました. また,森田さんは あの性格で,かつあの能力ですから,それを受けてしまって,かつ やってしまうのです. それが 彼の死期を早めた... ということもあるかもしれません.わたしたちは,大いなる反省をすべきなのでしょう.
彼は,常に 人の間に立っていました.IPCC でも,欧州の研究者と 米国の研究者の なかば政治的とも言える確執の 間に立ち,それを調整する役割を買って出ました.というより,彼しか それをできなかったのですね. それは,彼のすばらしさでもありましたが,そばから見ていたら,彼に どんどん 負荷がかかっていくように見えました.
しかしその中ですごいのは,彼はその立場をうまく利用して,自分の一番いいと思う方に,みんなを 誘導できる資質と実力を持っていたということです.単なるコーディネータではなく,戦略眼と実行力がありました. みんなの信頼を勝ち得ていたからこそ,できたことなのでしょうね.
このように,彼は わたしにとって 目指すべき ひとつの理想像と言えるでしょう. 彼の死を目の当たりにして,彼のことを思い出すにつけ,ますます そう思えます.
わたしは,わたしなりに,彼の哲学を解釈しています. そして,わたしなりのアプローチで,彼の遺志を具現化していきたいと 思っています. わたしがどこかで血迷っていたら,森田さんを思い出せ,と 声を掛けて下さい.