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Last updated: 2003.11.07  

世界の灯台の火が消えた ― 森田恒幸氏の急逝を悼む

地球環境研究センター長 / 国立環境研究所理事
西岡 秀三


Tsuneyuki Morita 2

森田恒幸氏(国立環境研究所 社会環境システム研究領域長,地球温暖化研究プロジェクトリーダー; 東京工業大学大学院教授)が,9 月 4 日 未明 急逝された.享年 53 歳. 知らせを受けたすべての方々が,即座に,これは一研究所だけでなく,日本の そして 世界の 大きな損失であると,その早すぎる死を惜しむ言葉を述べられた.残念という言葉だけでは言い表せない 深い哀しみである.

亡くなる 10 日前,病院から電話をもらい,まるで軽い仕事を片づけるかのいつもの調子で, 今週中には体は良くし,9 月 1 日からのベルリンで開催の IPCC (気候変動に関する政府間パネル) スコーピング会合には なんとしても出ますのでご安心を,と言っていた声が まだ耳から離れない. 二日間 意識をほとんど失ってからも,ベルリンのことを気にしていたとの ご遺族のお話であった.

訃報はそのベルリンに届けられ,最終日の全体会合で パチャウリ IPCC 議長の発議により, 一分間の黙祷で 全員が弔意を示した.議長は, He was a shinning beacon light for us. という表現で 氏に感謝した.さらに,氏が この 10 年間 心血を注いでリードしてきた 第三作業部会では,デービドスン 共同議長からの 故人を偲ぶスピーチがあり,多くの人から哀悼の意が寄せられた.

氏の業績の中心は なんといっても,京都大学との共同開発による AIM (アジア太平洋統合評価モデル) を駆使した 気候変動政策への貢献である.これは,社会ニーズの変化を前提とし,それを実現する 技術・エネルギー手段の最適組み合わせで,エネルギー・環境資源使用や 温室効果ガス排出量変化を求める ボトムアップモデルと,世界の各地域を単位とする 一般均衡モデルを一体化したもので,その包括性から, 今や 世界の気候政策検討に 必須の道具となっている.

氏は,1995 年,IPCC 第二次評価報告書作成作業で,世界の将来シナリオ検討部会の幹事として, 膨大なデータ集約作業を受け持つと同時に,AIM を用いて 今後あり得る世界像を描き, 早めの環境経済統合が 温暖化防止の近道であることを 世界に示した. それは いまや 世界の潮流になりつつある. 2001 年 第三次評価報告書作業では,排出シナリオ章のリーダーとなり,それぞれのシナリオで どのようなコストが必要かの評価で,具体的政策の効果分析を世界に問うた. 世界の生態系評価プロジェクト (MA: Millenium Ecosystem Assessment Project) でも AIM は 中心シナリオに選定されており,今後は 広く持続可能性を追求するモデルとして 展開を図っていく矢先であった.

氏の業績は,地球環境政策にとどまらない幅広いものである.最近では 環境税論議の中核であったし, 環境政策,環境指標,環境アセスメントでの貢献も多大であった. 特に 環境政策学・環境経済学の確立が 氏の夢であり,著書に,学会体制づくりに 多くの力を注いだ.

彼の あれほどまでに 心身を尽くした仕事への情熱の源は何だったのであろう. たぶん,彼は 芯から「人」が好きだったのだろう. 接する誰もが,あの童顔で微笑みかけるやさしい魅力に惹きつけられたし,それは彼にとって きわめて自然のものだった. 彼が 常磐線での帰り道,ちょっと恥ずかしそうに,しかし誇らしげに 家族のことを話すときの めちゃくちゃに嬉しそうなあの顔は もう見られないのか.

大学では,論文提出前の数週間,一人ひとりの修士学生の持つ潜在力を どうやって引き出すか, 真剣な対話で徹夜を続けていた.共同研究では 成果を若手に譲り,あとを継ぐ研究者を 審議会や IPCC の現場に送り出し,挑戦をけしかけ,デビューの花道を与えていた. 若者の成長を わがことのように 目を細めて報告に来てくれた. 飛び跳ねるような あの足音は もう聞けないのか.

彼は,今 流行の データ搾取型 途上国共同研究を真っ向から否定し,AIM モデルのノウハウを 途上国研究者に公開し,それぞれの国の研究者が 自分でデータを集め 独自の政策を作り上げる 能力構築をアジアで始めていた. 彼の途上国への期待は大きかったし,途上国研究者の間での 彼への信頼はきわめて厚い. その一方で,学会では厳しく,何ら新しいものを生んでいない まやかし研究には 痛烈な批判を投げかけたし, 国際会議や環境政策関連審議会での 一見 環境論的 薄っぺらな意見には,静かに しかし 確固たる信念で 異議を唱え,安易に流れやすい論議を押しとどめていた.似非を見分けて 果敢に挑戦する あの正義漢の 謦咳には もう接し得ないのか.

愛,信頼,こころざし,勇気.人に,社会に,そして人類に必要な多くのものを生み,育て,残して, 森田さんは もう旅立ってしまった.ご冥福を祈る.


[この文章は,西岡さんが,NIES 地球環境研究センターニュース 2003 年 9 月号 に寄稿されたものを, 西岡さんの承諾の上,転記したものです.]



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