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Last updated: 2003.11.07
2003 年 秋
ひらいし たかひこ
平石 尹彦
hiraishi@iges.or.jp
(財) 地球環境戦略研究機関 (IGES)
上級コンサルタント
本稿中 意見にわたるところは 筆者の個人的なものである.
1972 年 6 月にストックホルムで国連人間環境会議が開催された.当初,スウェーデンがこの会議を開こうと 提唱したときには,当時指摘されていた酸性雨問題や,南極地域の有機塩素化合物による汚染の検出などを背景として, 国連「環境」会議として,地球的な環境汚染問題に焦点を当てようとしたのだが,途上国の人々が 「環境問題はいわゆる環境汚染問題だけではない.途上国における貧困こそ重大な環境問題である」と主張し, 「『人間環境』に関する国連会議」となった.「人間環境」は,このような背景から生まれた名称であり, 単に人間の周りの環境というだけの意味をもつものではない.
日本の代表演説 (大石環境庁長官 (当時)) は,日本の公害問題の発生を率直に反省し,未然防止を強く求める 内容となっており好評だったが,ストックホルム会議を全体としてみると, 今から思えばかなり先進国側からの議論が多かった.ストックホルム会議は,人間環境宣言と 人間環境に関する行動計画を採択し,組織と資金確保に関する決議もした.その他の決議としては, 「世界環境デー」,核兵器廃絶,第 2 回国連人間環境会議に関するものもあった.世界環境デーは 6 月 5 日で, これはストックホルム会議が始まった日である.また,ストックホルム会議が開催された頃は冷戦期であったが, 核兵器実験はもう止めたほうがよいという非常に道徳的な決議もなされた. 第 2 回国連人間環境会議の開催に向けて検討するという決議が採択されたが, この会議が実際に開催されることはなかった.
ストックホルム会議の後に開催された国連総会で国連環境計画 (UNEP) が創設された.UNEP とは 58 カ国の 政府代表で構成される管理理事会と,5 年間で 1 億ドルのレベルの環境基金と, ケニアの首都ナイロビに存在する UNEP 事務局の 3 つを合わせたものである. UNEP の職員は,ナイロビの本部と国連の各地域にあるの事務所を入れて,世界全体で 300 人程度である. 創設された 1973 年には,2,000 万ドルぐらいの年間予算レベルで始まり,今は 4,000−5,000万ドルぐらいの 予算になっている.1972 年に 2,000 万ドルだったのが,30 年後に 4,000−5,000万ドルというのは, 実際のインフレーション等を考えると,実質的には減っている.日本では UNEP という名前はよく聞きくが, その実態はよく知られていない.実質的に予算額が目減りしていることなど ほとんど報道されていない.
UNEP が創設される以前から 国連システムの中で環境問題を担当している機関があった. 例えば,世界保健機関 (WHO) や国連教育科学文化機関 (UNESCO) などである. ユネスコは 科学と教育の問題を担当しているほか,世界遺産条約や,自然遺産と文化遺産に関する活動を行っている. また,海洋や淡水資源問題にかかわる機関もある.このように環境問題を担当する国連機関は UNEP 設立以前に既にあったので,それらに加えて,さらにもう一つ環境問題を担当し事業を行う機関を作るのではなく, わずかな額ではあるが 環境について追加的な予算をつけて,国連システム内外の機関と連絡をとって, 環境問題についての活動を 調整,促進する機関としてUNEPは作られたのである.
国連システムは,大きく分けて国連本部と国連専門機関に分けられるが, WHO や UNESCO は後者のグループに属し,UNEP は前者の本部組織である.事業の実施機関ではなく, 環境事業の実施の調整あるいは実施の促進をする機関となっている.したがって,環境のための機関だからいって, 例えば みずから環境モニタリングセンターや,下水道施設を作るわけではない. そんなことをしていたら すぐ資金がなくなってしまう.ではどんなことをやっているかというと, 例えば WHO が化学物質に関する報告をまとめたときに,その出版事業のために UNEP が資金を出すことにより, WHO の環境関連事業を支援していた.UNEP がみずから実施している最も典型的な仕事としては, 環境が今どうなっているのか,今後どうなると予測されているか などについて環境状況報告書を作成して 早期警報を出すというものがある.具体的な成果としては,世界環境概観報告書 (GEO) などの アセスメント報告書を作成している.また,「環境上健全な開発」や「共有天然資源に関するガイドライン」などの 環境分野における新しい概念作りを推進した.UNEP は,これまで,有害廃棄物の越境異動の規制に関する条約 (バーゼル条約),オゾン層保護条約 (ウィーン条約と関連議定書),生物多様性条約, 化学物質対策に関する 2 本の国際条約などの 国際法策定にも主要な役割を果たしている.
1987 年に環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)報告(WCED レポート)が出された. この報告書の邦訳は,『我ら共有の未来』として出版されている 【『我ら共有の未来−「地球の未来を守るために」』 1987 年福武書店】. この報告書で「持続可能な開発 (sustainable development)」という言葉が出てくる. このような環境と開発を同時に考えようとする哲学は以前からあったが,この報告書でより整理され, より広く知られるようになった.人間環境といいながら,それまでの会議は 環境汚染・破壊問題を中心としたものが 多かった.しかし,WCED レポートが出された頃から,環境と開発を一緒に議論した方がよいという考えが広まり, それが 1992 年 6 月の リオ・サミット「国連環境開発会議 (UNCED)」へとつながっていった. リオ・サミットでは,それまでは別々に扱われることが多く,あまり一緒に議論されてこなかった 環境と開発の両方の問題を捉えたのである.
リオ・サミットの結果として,国連持続可能な開発委員会 (CSD) が設置され, 1993 年以降 毎年会議を開催している.リオ・サミットから 5 年目には,国連特別総会が開催され, これが「リオ+5」と呼ばれた.2002 年 8〜9 月に開催された「持続可能な開発に関する 世界サミット(ヨハネスブルグ・サミット)」は「リオ+10」であった. 最初のストックホルム会議は 環境の会議であり,リオ・サミットは環境と開発の会議だった. ヨハネスブルク・サミットは,持続可能な開発を正面に捉えた議論をしたと言える. このように,これらの会議の性格は徐々に変わってきた.
第2回国連人間環境会議は開催されなかったが,ストックホルム会議から 10 年後の 1982 年には ナイロビで UNEP 管理理事会の特別会合という形で国際的な会議があった.これが,いわば,ストックホルム+10である. 15 年目には,国連の正式な会議のようなものは何もなかったが,20 年目には,ストックホルム+20として リオ・サミット (UNCED) が開催された.リオ・サミットでは,リオ宣言と行動計画として 『アジェンダ 21』が採択された.リオ宣言は,ストックホルム会議の人間環境宣言の延長線上にあるものである. また,森林に関する非拘束な原則が採択された.森林については,なぜ非拘束の原則なのかといえば, 当時,世界の森林,特にラテンアメリカや東南アジアの森林がどんどん伐採されており, このままでは森林がなくなってしまうという危機感から 森林条約を作ろうという議論があった. ところが,ラテンアメリカや東南アジアの国々が「待ってください.皆さん我々の森林がなくなることを 心配してくださるのは大変有難いのですが,我々の森林の管理は我々に任せてください」と主張した. すなわち,途上国による森林伐採に関する 国家主権の主張が強調され,条約を作るというところまでは いかなかったわけである.その代わりにできたのが,法律的には拘束力を有しないことが表題に入った 原則なのである.
それから リオ・サミットでは,気候変動枠組み条約 (UNFCCC) と,生物多様性条約 (CBD) の署名が開放された. 条約の策定は,延々と国際交渉会議を経てまとめてゆく 大変な作業を伴うものである. 国際的な合意と条文が形成されたのち,ある時点から「条約に署名をするということが許されます」 (署名開放)ということになる.この二つの条約については,リオ・サミットで署名が始まった. 署名行為とは,署名した国はその条約の精神に沿って努力し,また 将来その条約を批准するという意思を 公式に示すものである.そういう意味で,条約に署名すれば 法的な責任が発生する. 2001 年,アメリカは京都議定書から離脱したが,アメリカは リオ・サミット当時, ジョージ・ブッシュ大統領(現大統領の父親)が 気候変動枠組み条約に署名し, そして京都会議では 当時のゴア副大統領が京都議定書に署名して,アメリカは議定書の精神に沿って努力し 将来批准する約束をした.それにもかかわらず,2001 年 3 月 突然に 京都議定書からの離脱を宣言したのであった. したがって,これは国際法上,稀に見る事件だったのである.ある国が一度は署名しておきながら, よく見たらあまりよくないから,やっぱり止めるというのは, 筆者は,条約法に関するウィーン条約 第 18 条の規定に照らしても 国際条約違反になる可能性があると思う. 今回のアメリカの行動は 国際法上異例の出来事であるが,通常は 署名した国は条約に沿って 国内法の整備や国内政策を打ちたてる.日本も,リオ・サミットでの二つの条約と京都議定書には署名しており, それにともなう国内法の整備や条約実施のため 必要な事業の実施などが行われ すべて批准している (日本は 2002 年 6 月 京都議定書を批准した).
リオ・サミットで採択された『アジェンダ 21』は全部で 40 章あり,かなり広範囲のことが取り扱われている (ただし,人口問題が取り扱われていないことは有名).莫大な行動計画だが,それが本当に守られているのか, 実施されているのかを検証するために,持続可能な開発委員会 (CSD) が設置され, 『アジェンダ 21』の基本事項,あるいはセクター別や横断的な事項について,実施されているかどうか 議論してきた. この CSD と UNEP を比較してどうなのか という質問がよく出るのだが,筆者から見ると, UNEP 全体と CSD とはあまり意味ある比較ができない.CSD は政府代表の委員会なので 話し合いの場であるのに対して, UNEP の方は 事務局が行う様々な研究や 国連組織が実施している環境事業の促進活動なので, もし,CSD と比較するのなら,同じ政府代表の会合である UNEP 管理理事会が比較対象にされるべきであろう. 理事会は,各国代表が入って,UNEP の活動について意見交換し,事業計画,予算を決定する場である. もう一つの違いは,CSD が国連全体を相手にするのに対して,UNEP 管理理事会の対象は UNEP だけである. だから UNEP 管理理事会の方が より実際的な話をしてともいえる.CSD は 1993年から毎年開催されており, 第 10 回がヨハネスブルク・サミットの準備会議として開催された(本年 5 月には WSSD (後述) の後の 最初の会合である CSD 11 が開催され,今後の作業計画を合意している). 毎年 各国代表を集めて会議が開かれてきた.そもそも CSD は,環境と開発を担当する両方の大臣たちが集まって, 両者の組み合わせについて議論をすることが期待されたのだが,実際には大部分の出席者が環境大臣であり, UNEP 理事会と同じような議論をしていあう.こちらは事業実施のための事務局を持っていないため, 当初 期待されたような成果があまりあがっていないというのが 筆者の個人的な印象である.
2002 年 8 月から 9 月にかけて 持続可能な開発に関する国連会議(WSSD.ヨハネスブルク・サミット)が 開催されたが,この会議に先立って,以下に示すような多くの国際会議が開催され,多くの国際的な合意が成立した. ヨハネスブルク・サミットは これらの合意の上に立ったものであることを 十分に理解しておく必要がある.
20 世紀末から 21 世紀初頭にかけて,持続可能な開発の問題を扱ったサミットや国際会議が続けて開催され, 2000 年 9 月の国連総会では,ミレニアム・サミットが開催されたが,この会合で, ミレニアム開発目標 (MDG) が採択された.具体的には,2015 年までに 世界の一日平均所得1ドル以下の人口を 半減するなど 8 つの目標が掲げられている.しかし,これらの目標が実際に達成できるかどうか,前途多難である.
2001 年 5 月には,あまり報道されなかったが,第 3 回 国連後発開発途上国会議が ブリュッセルで開催された. これは,1981 年と 1990 年の会議に続く 第 3 回目のものであった. 後発途上国 49 カ国の問題は広く認識されてはきたが,なかなか解決策が見つかっていない. いくつかの後発開発途上国では,累積債務の方が年間の GNP よりも大きくなってしまっている. 返済能力を超えて債務を抱えてしまったので,返済するのが容易ではない.そのような状況の中で, ヨーロッパ諸国を中心に債務帳消しにするという案が出て 1999 年のケルンサミットで同意が出来た. いわば徳政令だが,日本政府は債務を全面的に自動的に帳消しすることをしてはいない. これは,そもそも資金を貸したときに,調査もして返済計画も立て,それで双方了解して作ったはずの契約を 帳消しとするのは,借り手の責任に対する考えが薄れてしまうのではないか という懸念があるからである. 援助国側も 公的な資金(税金)を一番効率のよいところに援助したいわけだから, それをも安易に棒引きするというのは いかがなものかということである.マスコミなどでは, しばしば,あんなに貧しいところの借金を どうして帳消しにしてやらないのだ という論調があるが, そういうことだけではない と筆者は考えている.しかし,日本は,債務問題が深刻な一部の国については 債務を帳消ししたり,無償資金の提供で実質的には債務をなくすこと,減少するための事業のための国際的資金に 大規模な拠出はしている. 2001 年度には第 2 位になったが,それまでの10年間 日本は世界最大の ODA 供与国だった. 日本の ODA については,事業の決定や実施の不正や効率的ではないからなどの理由で ODA を削減すべきだ という論調が多いが,途上国やアフリカ諸国の実情を考慮に入れていない このような理由で ODA を削減してしまうのは,認め難いことだと筆者は考えている.
2001 年 11 月に カタールのドーハで開催された世界貿易機関 (WTO) 閣僚会議のドーハ宣言では, 経済発展,貧困撲滅のための貿易の重要な役割が認識された.特に 後発開発途上国の困難な状況が認識され, 貿易というのは経済発展に貢献するということを認めた.ただし,貿易高が増大したからといって それが経済発展と意味するとは限らない.グローバリゼーションということばがよく聞かれるが, 経済面でこの現象を象徴するのが 自由市場のグローバル化である.アメリカを中心として 自由市場至上主義が国際的に広がっているが,市場での自由競争を通して 消費者は一番よいものを買えて, 産業が発展する,だから皆が幸福になるという.それがグローバリゼーションのメリットなのだが, これは 先進国で経済がうまくまわっているところでは適用できる理論だが,後発開発途上国などでは,そうはいかない. 後発開発途上国では,製品をつくろうと中小企業が努力しているが,どうしても質の面やコストで,うまくいかない. 多国籍企業や大企業の生産性との競争や,高品質の輸入品との戦いの中で,ローカルな産業が育たない. そうなると,生活必需品も輸入しなければならなくなる.せっかくの外貨が国外へ流出してしまう. 石油や食料の代金が外へ出て行って,経済がまわらなくなる.環境問題に熱心な人々は, しばしば WTO が推進している自由貿易は 経済強大国のためにはなるが,経済的弱小国のためにはならない場合がある と批判するが,筆者もこれが結構あたっていると思う.そういった中で,WTO の加盟国が, 経済のグローバリゼーションが 開発途上国に困難な問題を引き起こすこともあると言ったドーハ宣言は, 非常に意味のあることだと思う.
そしてこの会議では,貿易に関する規則の設定,その進行に関する WTO の重要性を認識し, 貿易に関する懸案解消のための検討開始が確認された.新ラウンド交渉を始めることが決まったのである. 開発途上国の 非農業産品の市場アクセス,貿易と環境,弱小経済への影響,後発開発途上国の問題などを含む 新ラウンド交渉のテーマが確認された.
2002 年 3 月には,メキシコのモントレーで開発資金国際会議が開催された. この会議では,開発目標達成のための資金不足,経済のグローバリゼーション,9 月 11 日事件 (ニューヨークの世界貿易センターの事件)以降の協力強化の必要性,開発に関する各国の責任などが確認された. 将来の開発を進めるのに どの位資金が必要なのかについて話し合われた. ODA にしても何にしても,資金がなくでは世の中は動かない面がある. グッド・ガバナンス,社会開発のための投資や資源投入,開発政策の必要性や,直接投資,資金援助,貿易の必要性, 開発途上国等のマーケットアクセス,直接投資の貢献の向上,WTO システムの活用などが確認されたが, この会議の評価は分かれる.要するに,建前論を書いただけだと言う見方と, 非常に前向きに色々な分野を議論したと言う見方の 両方がある.筆者自身は,どちらかと言うと前者の見方に近いが, この会議でプラスだったと思うのは,ヨーロッパが ODA を増やすと言ったこと.それから米国が, 2006 年までに ODA を 50% 増やすと宣言した.これは素晴らしいことだと思うが, このコミットメントが実現するかどうかは まだよく分からない.ただ,もしこれらがうまくゆけば, 世界の ODA は 2006 年までに 20% 増えるだろうと言われている. その宣言が,モントレーでされたので,非常に前向きだったという評価もある. 日本も貢献して欲しいと思うが,その際 日本の ODA 政策,事業の的確な評価と それにともなう見直しを行い 世界の潮流に乗り遅れないようにしなければならないだろう.
ヨハネスブルク・サミットの準備プロセスとして,三つの成果を出すように準備会合が開催された. 第一は政治宣言.ストックホルムの原則や UNCED の原則,モントレーやドーハの話を入れて,議論されたが, 国際的な責任を規定した新しい原則ではなく,基本的な哲学を記述した宣言となった.
第二は,各国政府が何をしようかというのを書き挙げた実施計画.いわば,短い アジェンダ 21 と言える. 交渉はかなり難航したようだが,エネルギー問題,水問題などについてはかなり具体的な内容が盛り込まれた. 第三は,タイプ2文書と呼ばれているものであり,NGO,産業界や,政府以外のパートナー,個人でも団体でも, それぞれが今後実施しようとする事業を それぞれのコミットメントとして書き込んだ膨大な記録が残された.
ストックホルム会議は環境の会議で,リオ・サミットは環境と開発の会議であったと前述したが, 日本で環境問題というと,たいてい公害がイメージされてきた. ただし,若い世代は公害と言われてもピンとこないようだ.横浜や四日市や北九州ではひどい大気汚染があり, 水俣病(熊本や新潟)があったことを知っている人は知っているが,今日,多くの人は実感として感じていない. したがって実は,環境問題は公害問題だと感じる人さえ少なくなってきている. 危機意識が薄れてしまっていることも大きな問題であるのだが,実は,国際的な観点から見た場合には, 環境問題と聞くと公害の問題,つまり大気汚染,廃棄物,水質汚濁や下水道の問題としか捉えられないのも問題である. 環境問題とはもっと広く,貧困問題にも関係があることを強調しておきたい.
現在,国連に加盟しているのは 191 カ国である.その中,経済開発協力機構 (OECD) に加盟している いわゆる先進国が 30 カ国.他は,経済移行過程国と発展途上国だが,後者には OECD に加盟していないけれども 石油輸出などによって 国民所得が非常に高い国が数カ国ある.ただし,これらの国の言い分は, 「自分たちは発展途上国である.金持ちもいるが,貧しい人がとても多いから 平均すると途上国並みの国民所得になってしまう」と主張する.しかし,そういう話は別として, 現実に所得の高い国と そうでない国の格差は非常に大きい. 例えばアフリカの貧困国や,東南アジアでいうとミャンマーや,ネパールなどのような経済レベルがかなり低い諸国では, 貧困に起因する環境・厚生ならびに社会問題として,劣悪な衛生状況,安全な飲料水が得られない, 保健・医療サービスの不足,貧弱な居住環境,失業,教育や訓練機会の不足,開発資金や社会資本の不足などの諸問題が 深刻である.
また,地域によっては過放牧のような問題がある.牧畜に密着した生活を行っているような社会で, 医療や保健が改善されて,子どもが昔ほど死ななくなってきた.しかしそれに並行して出生率は変わらないから, 牛の必要数も増えてきた.ある程度までなら良いが,環境容量の限界を超えると,牛が牧草を根こそぎ食い尽くして 草原がなくなってしまうのである.また,本来は枯れた木や枝を集めて薪として使った居たような社会でも 薪が徐々に不足し,生きた木を切ったりすることで,居住地周辺の林が無くなり, 薪集めのために 婦女子が一日中 薪集めのために働くと言うことも聞くようになっている.
それから焼畑の問題.農業を続けてきた土地の地力が落ちたら,また別のところに移って農業をして, また戻ってくる.そういった農業が,東南アジアなどではまだ結構残っている.そういうところで人口が増え, 農産物のニーズが増えてくると,昔は 3 箇所で 一回 3 年ずつやっていたのが, 3 年やる前に農地の地力がなくなってしまい,2 年で移らなければならないことが起こる. 昔だったら 9 年かけていたところを,6 年で帰ってきてしまうと,いくら熱帯植物とはいっても 森林が回復しておらず,環境を壊してしまう.環境を壊してしまうと,焼畑もできなくなる という悪循環が生まれている.要するに,環境と人口のバランスと人間の技術にもっと余裕があれば, 環境は守れるのだが,サイクルが早くなり,牛の数も増えてしまっており,草がなくなって環境が壊れてしまえば, いくら牛がたくさんいても,どこかへ移動するしかない.非常に単純化して言えば,貧困, つまり経済的な余裕のなさと環境問題が 深く関係しているのである.
もう一つ,特にアフリカで顕著な問題が 内戦等による環境の破壊である. 本来は豊かな農業地域であるスーダン南部はその典型であろう. また,莫大な水資源と森林資源のある中央アフリカ地域の混乱は,開発のための投資の可能性を無くしている.
環境破壊をしてしまうと,将来の開発のための潜在能力がなくなってしまうことは分かっている. 分かっているのに 他にやりようがないからやってしまう.まさに悪循環である. 貧しいために環境から余分にものをとってしまい,そのために将来の開発の可能性を奪ってしまう. したがって,環境というのは単に公害問題に限定するのではなく,多くの貧困国の社会では生きていること自体が 環境に密接に関係した活動であり,固有の社会経済活動である.そういうところで,例えば これからまさに薪を使って夕飯を食べようとしている人のところへ 北から誰かが行って, 「今 世界の森林が減っているから,薪を使うのは止めなさい」などと言うことはありえない. 「環境」の保護のためには これが必要で,「経済」開発のためにはこれが必要だ,など, 分割して議論することに あまり意味がない.このような基本的な理解が 広く共有できるように 日本の常識も変えていかなければならない と思われる.
UNEP が 1999 年に編集した『世界環境概観報告書』には,次のような記述がある (UNEP, Global Environmental Outlook (GEO-2000)).
2 つの際立った趨勢が 第三千年紀の開始を特徴づける.第一は,生産性と商品とサービスの配分の 由々しき不均衡により,世界の人間の生態系が脅かされていることである.人類のかなり多くが, 未だに極度の貧困の中で生きており,経済発展や技術開発の恩恵を受けている者と受けていない者の格差が 拡大する傾向が予測されている.この極端な豊かさと貧困の進行は,持続不可能で, 人間全体のシステムの安定を脅かし,それにより世界の環境の安定性を脅かしている.
南北格差のデータを見ると,貧困国の深刻な諸問題が分かるが,中でも筆者が一番深刻だと思うもののひとつは, 産婦死亡率である.後発発展途上国では,出産 10 万件あたり 1,100 人の母親が死んでしまう. 100 出産あたりに一人というのは,仮に 5 人兄弟が普通とするなら,20 人に一人の母親が 「出産のため」に死んでしまう計算になる.これが現状である.今日の日本では, にわかには信じられないような数字が,現実にあるのである.
経済指標では,後発開発途上国は,一人あたりの国民総生産 (GNP) でも,その年間成長率でも, マイナスで成長していない.債務も多くあって,なかなか返済できない.それで政府開発援助 (ODA) を受理しているが, 一人あたりにして 24 ドル程度.ODA はないよりもあったほうが良いといえるが, 一人あたりの所得が非常に少ない国々で,国家予算に対する ODA の割合が非常に大きくなっているという面がある. 援助が手厚いという面はあるが,ODA をもらうための,あるいはもらえそうな開発パターンができてしまうという点も 忘れるべきではない.これはあまり自分の国には重要ではないが,ODA がつきそうだから,という具合に. あるいは,これは必要だけれど ODA がつきそうにないから後回し,ということが起こりうる. 皮肉な結果を招いてしまっているので,開発援助実務に携るときは このことを十分に配慮して援助企画を立てる必要があろう.
また,世界人口 約 60 億人のうち,約半分の 28 億人は 一日 2 ドル未満,12 億人は 一日 1 ドル未満で生活している という数値が「貧困」データとしてよく使われるが,これはあまり重要ではない. なぜならば,一人あたりの国民総所得 (GNP) は,幸福のレベルを示すインディケーターではないからである. 例えば,農業で生計を立てている人は,ほとんどお金の出入りはなくても十分生活している. だから,この数値だけで大騒ぎする必要はない.それにしても,例えば,日本のサラリーマンの 月額平均給与 30 万円と 一日 2 ドルあるいは 1 ドルの生活のあいだにある格差は 銘記すべきことである. 因みに,一日 1〜2 ドルでの生活という「貧困」がどこに多いかというと,まだアジアに多く, 24% が南アジア,23% が東アジア・太平洋,24% がサハラ以南のアフリカである. 国の数で言えば 圧倒的にアフリカが多く,アフリカ大陸の大部分が 1 ドル以下の絶対「貧困」地域である.
貧困は,多くの環境悪化の原因となり,その結果将来の開発の可能性を低下させ,そして貧困の継続の原因になる. 貧困者の毎日の生活がこの悪循環を開始させているのならば,貧困者の生活が環境破壊の原因となることを避けられるような 他の選択肢を提供することが必要となる.また,貧困とこれに伴う社会資本の不足も, 環境状況を悪化させることにより,悪影響を減じる行動をとる手段を貧しい者から奪う. 貧困が深刻な地域では,開発なくして環境保護はなく,環境保護なくして将来の開発はないと言ってよい.
また,最近のグローバル経済の発展は,裕福な者と貧しい者の格差が広がる原因にもなっている. しばしば言われるように,裕福な 20% の人々が 世界の自然資源の 80% を消費している現状である. 世界銀行の『2000−2001年 世界開発報告書』では,この貧困問題に正面から取り組み, 様々な形の貧困状況に対処するため,地元レベル,国レベル,国際レベルでそれぞれ特定の行動を検討できるよう, 貧困状況の特異性を分析することによって 対応策を明らかにしようと試みた.
気候変動に関する政府間パネル (IPCC) は,3 次にわたるアセスメント報告書を出しているが, 2001 年に出された その第 3 次アセスメント報告書は,2100 年までに,1.4−5.8 度の平均気温の上昇を予測しているほか, 気候変動問題に関する科学を総括している.
気候変動全体の話は,他に多くの論説があるので,ここでは,気候変動と開発の問題についてのみ論じてみたい.
発展途上国の多くは,資金,技術や人材の不足に加え,その経済の重要な基盤である農業が, 干ばつや過剰な降雨(しばしば洪水などを伴う)により深刻な影響を受けるという ハンディキャップを負っていることが多い.農業に対する被害を回復したり,それを予防するため, それでなくとも不足している社会資本投資を遅らせることになり,その結果として経済開発全体の足を引っ張り, 社会資本投資を遅らせるという悪循環に直面しているといえよう.
長期的な気候変動の影響は,海面上昇に伴う大規模な住民生活への影響(種々の予測のようなものがあるが, 場合によっては億単位の住民の移住が必要になる可能性もある)や,生態系への影響,健康への影響等, 広範なものであり,発展途上国の成長の根本的な方向性をも揺るがす問題であるが,このような面についても, 他の論説に譲ることとしたい.
気候変動による環境状況の変化がすでに発生しており,干ばつや洪水が頻発しているのは気候変動によるもので, このような悪循環をさらに悪化しているという指摘がしばしば行われる.また, このような被害の増加が気候変動によるものであり,その原因となっている先進国が被害国に補償を行うべきである という議論もある.当然のことながら,この一方で,気候変動は極めて長期的なものであるとし, 近年の天災の増加を直に長期的な気候変動と結びつけ,気候変動条約の枠内で先進国の補償責任の議論と 関連させることに反対する意見も強い.
このような議論のイメージをもう少し見やすくするために図を 2 葉掲げる. これはあくまでもイメージであって,温度とか,降水量とかの個別の気象因子を示しているものではないが, 年 2 回ずつの乾期と雨期があるような地域の気象因子の変化を 10 年間にわたり示しているものと お考えいただきたい.(図-1 は,年 2 回ずつの大きな気象因子の変動に,ランダムな変動を追加しているが, 図-2 では さらに 100 年間に数度気温が上昇すること(もちろん,仮想の温度上昇である)に伴って, そのランダムな変動の規模がより大きくなるという要素を 追加して作成したものである. あくまでも,イメージを提供すると言う趣旨のものであり,あまり定量的な議論であることはお許しいただきたい).
この 2 種の図を見ると,発展途上国にとって重要な問題が,毎年の気象因子の振れなのか, それとも長期にわたる気候変動なのか,は単純に結論づけられない問題であると言うことは明らかであろう. 長期的な気候変動が無いという状況でも,乾期,雨期の極端な気象条件の違いは 発展途上国に巨大な社会資本の投資を必要としている.これはまさに今日的な問題であり, 発展途上国の経済環境を困難にしている (ODA の観点からは,このような問題は 現在の ODA の枠内で対応がされている 問題であるというのが先進国側の議論であろう − もちろん,それが十分なレベルかどうかは別の問題である). これに加えて,IPCC の報告書にもあるように,気候変動(地球気温の上昇)に伴って, 気象現象に関わるエネルギーレベルが増大することから,洪水や干ばつの強度が増大し, 降水量の増大や蒸発量の増大が発生するとすれば,気候変動に対応するために必要な社会資本の量も また増大していく必要があるものと見られよう.この後者の社会資本投資のニーズの増大をどのように評価し, また,どのような費用分担のスキームで手当して行くべきか,と言うのが, 長期的な気候変動に伴う経費の負担の問題と言えよう.
ヨハネスブルク・サミットに向けて様々な国際会議があり,各国や国際機関が取り組んできたが, 平行線をたどる議論も多く 30 年前とあまり変わってないところがある.オゾン層の対策が進んだとか, 難しいけれど気候変動枠組条約が発効し,京都議定書の発効も射程距離内に入ってきたことなど,進展もみられる. それでもまだ,難しいことが色々あるという現状を踏まえて今後を展望する.
国際機関のガヴァナンスの中心的課題である効率性の向上のための調整の問題は,条約間調整だけでなく, 多国間や二国間の国際援助間の調整も極めて重要である.持続可能な開発のための ODA 供与国間の調整も重要である. 発展途上国から見ると,色々な援助供与国それぞれの国の中にも機関が複数あり,UNDP など 国連システムの援助機関のどがあって,それぞれの機関から援助を受けることになる. 援助は多ければ多いほどよいという意見もあるが,やはり 調整がなく非効率に使われるのは 無駄の発生につながりかねない.援助の競争になってしまう.良いプロジェクトは皆やりたくなるし, 悪いプロジェクト(短期的に成果が上がらないもの(砂漠化防止事業はその典型))はやりたがらない. よいプロジェクトは日本のおかげで出来たのだという評価を受けたいのである. このようなドナーの希望は日本に限ったことではない.
国レベルの調整メカニズムを確立するためには,プロジェクトの策定,選択及び実施に対する責任(オーナーシップ)を 第一義的に持つホスト国政府の役割が特に重要である.また,そのための能力向上が必要である. 援助国はそうした能力向上に配慮すべきであるが,一番の基本は援助国や援助機関が意見を押し付けないことである.
国連内部では,国連常駐調整官 (UN Resident Coordinator) による調整が進んでいるが, 世界銀行との調整は重要な懸案事項となっている.また,地域レベルにおいては 地域社会経済委員会の調整能力や役割を見直すべきではないか.
環境と開発を統合して考えるということは,プロジェクト・ベースでも同じである.特に途上国については, 環境と開発とを別のセクターのごとく分断して議論することは非建設的であると思う. ODA の環境関連プロジェクトは 日本がトップだとか言われるが, 環境と開発を分けるべきではないという視点から考えると,ODA を環境とそうでないものとに区別するのも あまり意味がない.例えば,日本の基準では,下水道や廃棄物処理のための ODA は,環境援助に分類される. この一方で,環境に寄与するだろうと思われる農業援助は,環境援助には分類されない. このような近視眼的な見方では 環境と開発の関連性を捉えきれておらず,問題に有効に対応できない. 途上国の現場の視点に立てば,より統合的なアプローチが必要になろう. 現場の住民などの意見を吸い上げることが重要である.その点において, 前述の貧困に関する世界銀行の解析的アプローチは評価しうる. 要は,グローバリゼーションのインパクトと,その負の側面に対応するための政策・措置の方向性の議論が必要である. 国連持続可能な開発委員会 (CSD) は,そうした場を提供することを意図していたのだと思われるが, CSD はこの問題に有効に対応できなかった.環境と開発を統合的に考えるために, 経済開発担当大臣や経済問題の大臣も含めて,幅広い話し合いをしようと試みたのだが, 蓋を開けてみると委員会に参加したのは ほとんどが環境大臣であった.環境の話のみとなってしまい, 経済との連携はあまりできていなかった.財務大臣の参加がないので予算の話もできなくて, 観念的な話に終始している.CSD については 根本的な発想の転換が必要なのではないか.
現在のところ,多国間でも二国間でも,貿易と環境の問題が頻繁に議論されるようになった. 環境主義者のかなりの者が,貿易は環境に悪いと考えているようなのだが, 開発途上国の経済発展には貿易や海外直接投資 (FDI) が絶対に必要なのである.なぜなら,貿易や投資は, 開発,技術移転,能力向上の重要な原動力の一つだからである.貿易や海外直接投資は悪い, ダムは作ってはいけないとか,あまり凝り固まってはいけない. その国の人々が全体として本当にどう考えているかを踏まえて 物事を判断しないといけない.
ただし,やりかたを間違えると,貿易や投資のグローバル化が 環境に悪い影響を残すことになる. グローバリゼーション,自由競争はプラスの面があるのだが,現在の価格体系には,環境の価値とか文化の価値とか, 稀少生物の価値などが 十分に反映されていないのである.そうした状況での自由競争万能主義は,大変危険である. 一例だが,日本には良質な水が豊富に存在するのに,なぜフランスのミネラルウォーターがよく売れるのか. フランスで汲んでビンに詰めて,飛行機で日本にまで運んでいるのに. そうすることによって環境に与える影響のコストが価格に完全に入っていないからではないか,と筆者は考えている. 文化への影響,そのコストも同様である.確かにこれらを測るのは難しいのだが, どのようなネガティブ・インパクトがあるかが,商品価格に反映されていないのではないか. また,現在普及している会計システムにもとづく自由市場の効用だけに依拠すれば短期的な利益が最優先され, 中・長期的なニーズである環境とか文化とかの価値は あまり反映されず,効率は上がるかもしれないが, 長期的には環境が悪化することになりかねない.こういうことを考えると,グローバリゼーションに対して 単純にもろ手を上げて賛成するわけにはいかない.
中・長期的なニーズに対応することが,まさに持続可能な開発なのだが,これにも資金の問題は避けて通れない. 『アジェンダ 21』の第 33 章では,発展途上国が持続可能な開発を実現するために必要な資金レベルは 毎年 6,000 億ドルだと指摘された (『アジェンダ21』,33.18.). ただし,ここで指摘されているのは総額で, そのうちの 1,250 億ドル,つまり約 2 割は,国際的な資金であるべきだと書かれてある.
近年の ODA のレベルは 毎年 500 億ドルくらいだから,ODA の増加が必要である. ちなみに 1,250 億ドルという金額の意味するところは,少なくとも各国は GNP の 0.7% を 国際援助にまわすべきだという,国際的な勧告とも関連している.日本は 近年,GNP 比 0.3% くらい. アメリカは 0.2% だから,ODA の増額が必要である.しかし,この 1,250 億ドルは, ODA だけで全てまかなうというものではなく,その他の公的資金 (OOF) や,海外直接投資 (FDI) などの 民間資金 (PF) の増加も必要である.ただし,それに際しては,環境面のチェックが必要となる.
もう一つ指摘したい点は,6,000 億ドルから 1,250 億ドルを引いた,4,750 億ドルの問題である. これは先進国からの資金ではなく,途上国内から拠出されるべき資金である. 当時の言い方では「ダブル・コミットメント」と言っていた.途上国自身で,4,750 億ドルは負担しなさい, ということである.これについて,あまり議論されないのだが,非常に重要な点である. 援助額よりもこちらの方が大きいのであるから.しかし,その 8 割の途上国側のコミットメントは, 簡単に実現できないのである.だからと言って,途上国を一方的に非難するのも理不尽であろう. 出せるものを出さないのではなくて,国全体の予算の規模の問題があって,やはり出せないのであるから,難しい.
途上国の努力も大事だが,それに対応する先進国側のコミットメントが やはり重要なのである. とりわけ,アメリカの役割が重要である.その意味で,モントレー会議でのアメリカのコミットメントの行方を注視したい. 米国がこれからどうするのか,興味深いことである.モントレー合意が誠実に実行されるのか. 日本の ODA は再度増強されるのか.世界の発展にとって,これらは重要なカギとなるだろう.